第1186回2022年7月9日・10日放送
ご近所さんの保健室
ケガをした子どもたちが、看護師の母のもとにやって来る。我が家はまるで〝ご近所さんの保健室〟。
ご近所さんの保健室
助産師 目黒 和加子
「あっ、先生が帰ってきた。おかえんなさ~い」
道端でゴム跳びをして遊ぶ子どもたちが、先生のところに集まってきました。子どもたちに取り囲まれる先生。先生といっても本物の先生ではありません。うちの母のことです。
「先生、ほら見て!先生に消毒してもらったヒザ小僧、治ったでー」
「ほんまや。きれいに治ってる。ゆうくん、良かったね」
「私も運動会の時に捻挫して、先生に湿布してもらってんで」
「あの時、八重ちゃん泣かんと頑張ったよね」
私が育ったのは、大阪と京都をつなぐ京阪電車沿線の街。文化住宅と呼ばれるアパートがごちゃごちゃと建ち並ぶ、おもちゃ箱をひっくり返したようなところです。道は狭く、子どもたちが遊ぶ公園もないような地域ですが、ご近所同士でたすけ合って生きていました。
看護師として救急病院に勤める母は、ご近所から何かと頼りにされる存在です。子どもたちは、親から「お父ちゃん、お母ちゃんがおらん時にケガしたり熱が出たりしたら、先生のところに行きや」と言われています。
「先生、道路でこけてん。手ぇと鼻、擦りむいてん」
べそをかきながらやって来たのは、お向かいの大ちゃん。
「傷の中に砂が入ってるわ。水で洗って消毒しよね」
母は水道で傷口を洗い、消毒をして絆創膏を貼ります。すると大ちゃんは満足そうに帰っていくのです。我が家は、まるでご近所さんの保健室。母は保健の先生といったところでしょうか。当時のエピソードをいくつかご紹介します。
ある夜、玄関のドアをノックする音で目が覚めました。時計を見ると夜中の2時。
「先生、こんな時間にすみません。加代の熱が39度になって、小児科でもらった薬を飲ませてるんやけど、下がらへんの。ちょっと見に来てもらえませんか?」
加代ちゃんのお母さんは三か月前に離婚し、一人で子どもを育てています。うちと同じ母子家庭。相談できる人もなく、不安になったのでしょう。母はパジャマ姿のままで加代ちゃんのお宅に行き、氷嚢を作って首筋と両脇を冷やし、白湯を飲ませるようお母さんに伝えます。
頼まれればいつでも様子を見に出向き、家庭で出来ることを丁寧に教え、安心できるように接するのが常でした。
弟と一緒に仮面ライダーを見ていた土曜の夜。「ギャーッ!」と叫びながら階段を駆け上がってくる女性がいました。ノックもせずにうちに転がり込んできたその人は、下着の上にバスタオルを巻き、髪の毛はびちょびちょ。裸の赤ちゃんを抱いてワナワナ震えています。よく見ると、斜め向かいの堀口さん。
「先生、たすけてー!お風呂でこの子の首を洗ってたら、首に、首にー!」
堀口さんが抱く、生後二か月の赤ちゃんの首のしわを持ち上げた母の顔が一瞬、こわばりました。そこにあったのはなんと、輪ゴム! 輪ゴムが赤ちゃんの首に巻き付いて、皮膚に食い込んでいるのです。
「和加ちゃん、ハサミ持ってきて」
私は急いでペン立てのハサミを渡しました。そっと輪ゴムを切り、食い込んでいる箇所をジッと見る母。
「堀口さん、救急車で病院に行きましょう。ご主人さんは?」
「まだ帰ってきてないんです」
震えが止まらない堀口さん。
「私が付き添って病院に行きます。堀口さん、髪を拭いて服を着ましょう。上のお子さんはうちで預かりますから。和加ちゃん、子守り頼んだよ」
そう言い終わると、母は勤務先の病院に電話をし、外科のドクターに話をつけて救急車を呼び、堀口さんをなだめつつ、赤ちゃんを抱いて救急車に乗り込んでいきました。
三才になったばかりの上の子が、赤ちゃんの首に輪ゴムをかけたようで、「食い込んでいた輪ゴムを外したら、生々しい血管が見えたんよ。危ないところやった」と母。いざという時の決断と行動力に、「お母さん、すごい!」と感動しました。
文化住宅が建ち並ぶこの一帯は低所得世帯が多く、食べていくだけで精いっぱい。暮らしに余裕のあるお宅は、ほとんどありません。
北川さんのおうちは、小学三年生の由美ちゃんを頭に子どもが四人。お父さんは鉄工所で、お母さんは市場のパン屋さんで働いています。
商店街にクリスマスソングが鳴り響く12月の夜、由美ちゃんのお母さんが訪ねてきました。
「主人の咳が止まらへんのよ。熱も38度あって、薬局で買うた薬を飲んでるんやけど、顔色も悪いし。先生、様子見にきて」
布団の中で背中を丸めて咳き込む、由美ちゃんのお父さん。
「肺炎になっているかもしれません。すぐに入院できる病院へ行きましょう」
「実は、年末でお金に余裕がないんです」
と、困った顔の由美ちゃんのお母さん。
すると母は、
「ご主人は、私の従弟だということにしましょう」と言い出しました。
その当時、母の勤務する病院では、職員及びその家族や親戚は、治療費や入院費が、なんとタダだったのです。重症肺炎での二週間の入院加療が、本当にすべて無料でした。
このやり方、本来はダメですよね。しかし、母は自分と同じようにギリギリの生活を送っているご近所さんに対し、出来ることを精いっぱいやり切る人でした。
私の高校受験が数日後に迫った夜、三軒隣りの香奈ちゃんが40度の高熱を出し、ひきつけを起こしました。事情があって、一人で香奈ちゃんを育てているお父さんがうちに飛んで来ましたが、母は夜勤で不在。様子を見に行くと、香奈ちゃんの身体は激しくけいれんしています。
お父さんは、冷静さを失いパニック状態。市内で小児科救急があるのは南病院だけだと、母から聞いていたことを思い出し、私は勇気を出して南病院に電話をしました。救急車で来るように言われ、付き添って病院に向かいました。
香奈ちゃんは大事には至らず、入院せずに済みました。帰り際、病院の先生から「あんた、この子のお姉ちゃんかと思ったら、近所の看護師さんの娘さんやてなあ。お母さんの代わりによう頑張った。まるでご近所さんの保健室や、素晴らしいなあ。これからも続けてや」とほめていただきました。
隣町に引っ越すまでの18年間、母は夜勤明けで疲れていても、体調が良くない時も保健の先生をやり通しました。我が親ながら誠にあっぱれ、尊敬する母です。
おさしづ春秋 『ある少年の夏休み』
多くの中不思議やなあ、不思議やなあと言うは、何処から見ても不思議が神である
(M37・4・3)
和歌山市在住の小学一年のその少年は、初めてこどもおぢばがえりに参加することになっていた。ところが、出発の前日から下痢をともなう腹痛と微熱が治まらない。そんな状態なのに本人はどうしても行くのだと諦めない。
じつは、手まわし良く、夏休みの宿題の絵日記に、まだ行ってもいないこどもおぢばがえりのことを描いてしまったのである。行かなければウソになる。どうして行ったこともないおぢばがえりの絵が描けたのかというと、勧誘にもらった『リトルマガジン』のおぢばがえり特集の写真を何度も見ては夢見ていたからである。
そこまでいうのなら、と父親が大急ぎで団参の集合する駅まで車をとばしたが、列車には間に合わなかった。少年が頻繁にトイレにいくので家を出遅れた。
両親はまったくの未信者であったが、この事態に何を思ったのか、その日、たまたま他のレジャーのために休暇をとっていた父親が、母親と幼児、つまり家族みんなを車に乗せて少年をおぢばに送り届けるということになった。まるでドタバタ喜劇のようだが、結果として、その家族は、揃っておぢばへ帰らせていただいた。
時おり、成ってくる、その成りゆきの中に、不思議という空気が漂うことがある。その日、少年は団参に合流し、楽しくて、嬉しくて、絵日記と同じおぢばの一日を過ごした。翌朝、目がさめると、あの腹痛は消えていた。
かけがえのない体験を胸に刻んだ少年の不思議な夏休みである。
(終)