(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1160回

ムカデ事件簿

長女を刺したムカデを家族一丸となって退治。チームがまとまるには「共通の敵を作る」のが一番だと聞いたが…。

ムカデ事件簿

岡山県在住   山﨑 石根

 

昨年の9月初旬のある夕方のことでした。帰宅すると、小学5年生の長女と3年生の三男がきょうだいゲンカをしていました。

聞くと、その朝、私がご褒美で買い与えたお菓子の味でケンカをしているとのこと。それは、朝から教会の掃除を一生懸命頑張った二人に、珍しく私が買ってきたお菓子なのですが、二種類の味を準備したのが仇となったようです。片方の味は二人とも嫌いなようで、「私がそっち!」「僕のほうがそっち!」と取り合いになっていました。

しかし、お金を出した私からすればいい気はしません。
「買ってもらっといて、何やその態度は!いらんのやったら、もう二度と買わんわ!」と、大人げなくつい感情的になってしまいました。

弟のほうは、それでも「だって…、嫌いな味なんじゃもん」と泣きながら抵抗してきますが、姉のほうは私が怒っている空気を察して、サッとその場を離れ、取り込まれた洗濯物をたたみ始めました。この辺りの動きは、さすが長女です。

ところが、その時、「痛~っ!」突然の悲鳴と共に、長女が激しく泣き出しました。

「何かに刺された! 何か分からんけど、痛い!痛い!痛い!」

「蜂かも?」と思った私は、すぐさま長女を洗面所へ連れて行き、血が出ている指先に流水を当てながら、毒を絞り出すようにつまみました。

「こうやりながら、ずっと水に当てとくんで」と指示した私は、犯人を捜すために洗濯物の所へ引き返しました。そこにあったのは、奇しくも私のお気に入りのTシャツ。私のTシャツを畳もうとしてくれていたのか…と思うと、何だか怒りが込み上げてきます。

私は犯人は蜂だと思い込んでいるので、側にあった座椅子で何度もTシャツを叩きました。やっつけたかなあと思いながら、そっとTシャツを持ち上げると、何物かがスルッと絨毯の上に落ちてきたのです。

それは、ムカデでした。しかも大物です。犯人は、お前だったのか…!

「ムカデや!」
と私が叫ぶと、すぐに側にいた次男と三男が走り出しました。

最初に火ばさみを見つけたのは三男だったようですが、「僕のほうが早い!」と次男がそれを受け取り、猛ダッシュで私のところへ持ってきてくれました。私はすぐに火ばさみでヤツを掴み、渡り廊下まで移動し、地面の上でムカデを退治しました。

余談になりますが、その渡り廊下では、大きな衣装ケースを改良した手作りの虫かごの中で、カブトムシが6匹飼われています。

「同じ虫なのに、この対応…。えらい差やなあ」と、どこか同情が湧きつつも、可愛い娘の指を傷つけた犯人を、私はようやく成敗したのです。

再び洗面所にいる長女の元に戻ると、一番下の次女が絆創膏を手渡してきました。彼女も何かしなくちゃ…と、救急箱から探してきたのでしょう。

「確か、ムカデに効く塗り薬があったと思うけど…」と私が言うと、タイミングを同じくして、三男が台所にいた妻を連れてきました。「薬はここやで」と。やっぱりお母ちゃんはさすがです。

しかし、まぁ、何というチームワークなんでしょう。

学生の頃、たしか心理学の授業で、次のような話を聞いたことがあります。

チームをまとめる最も簡単な方法は、共通の敵を作ること。チームの中で仲の悪いメンバーがいたとしても、共通の敵がいればまとまりやすいそうです。まさしく、ムカデという共通の敵が表れた時、それまでケンカをしていた家族は一つになりました。

しかし、敵をやっつけるために一つになるというのは、何だか信仰的ではありません。それこそ、今は新型コロナウイルスという人類共通の敵がいるわけですが、教会では、その敵を退治するというよりは、この事情が治まり、罹患した方が少しでも良くなるように、毎日祈りを捧げています。信仰者たる者、神様に願う心で一つになりたいものです。

コロナ時代に入り、それまでずっと続けていた子どもの行事である「教会おとまり会」が出来なくなりました。一年近く止まってしまいましたが、現在では「教会こども会」と称して、宿泊や食事をしない行事を、感染対策を講じながら再開しています。

その行事で必ずしていることがあります。それは「お願いづとめ」と言って、新型コロナウイルスの感染拡大の収束をみんなで祈るのです。もちろん、天理教の教理の深いところまで子どもたちは分かりません。それでも、祈るみんなの眼差しは、いつでも真剣そのものです。

教会の行事を通して、子どもたちとこのような形で一つになれることに、いつも熱い思いが込み上げてきます。やっぱり共通の敵より、共通の目標のほうがいいに決まっています。

神様のお言葉に、

 をやこでもふう/\のなかもきよたいも
 みなめへ/\に心ちがうで(「おふでさき」五 8)

というお歌があります。
だからケンカが起こるのは当然です。でも、共通の目標があれば一つになれるというのが私たちの教えです。それは「陽気ぐらし」という目標なのだと思います。

翌朝、「もう痛くないよ」という長女の笑顔に、ホッとしました。
「でも、私がこんなに大変だった時にお兄ちゃん、おらんかったんで~」
と、その時不在だった長男を責めていました。

「そんなこと言われても…」

家族と一つになれなかった長男が、ボソッと呟きました。

 


 

人がめどか

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、この世界の元初りの真実、そして私たちが目指すべき陽気ぐらしについて、何も分からない人々に、常にあたたかい親心の限りを尽くし、根気よく教え導いてくださいました。

当時、信仰についた人々が、教祖をお慕いする気持ちがいかに強かったか、こんなエピソードが残されています。

 

明治十四年、左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんという人が信仰につきました。間もなく教祖の新しいお住まいの建築が始まると、四郎兵衛さんは、身についた技術をもってご奉公させていただきたいと、昼間は地元の大阪で忙しく働き、仕事を終えると歩いてお屋敷へ帰り、翌早朝から甲斐々々しく壁塗りのひのきしんに精を出すという、まさに夜を日についでの大活躍でした。

ところが、心を磨く砥石はどこにでもあるものです。誰が言ったか、四郎兵衛さんのひのきしんの姿を指しながら、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て」と陰口をささやく者がありました。

これが本人の耳に入ったのだからたまりません。一生懸命に真実を尽くしていただけに、思いもよらぬ陰口は、四郎兵衛さんの心を大きくかき乱しました。抑えようのない激しい憤りから、大阪へ戻る決意をした四郎兵衛さん、その夜、皆の寝静まるのを待って、秘かに荷物をまとめ、お屋敷の門を出ました。

足音を忍ばせつつ、教祖のお部屋の軒下にさしかかった時、お部屋の中からコホンと一つ、咳払いが聞こえてきたのです。「あ、教祖が」。四郎兵衛さんはその場に立ちすくんで、足を前に進めることができませんでした。

「自分は今、腹を立ててお屋敷を逃げ出そうとしているが、こんな去り方をすれば再びここには戻れない。そうすれば、もう二度と教祖にお目にかかることができなくなってしまうのだ」。

抑えることのできない教祖への思いが、強く四郎兵衛さんの胸につきあげ、昼間の意地も腹立ちもどこかへ消え去ってしまいました。すると、足は無意識のうちに再びお屋敷へ向かいます。

翌朝、四郎兵衛さんが皆とご飯をいただいていると、教祖がお出ましになり、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで」と仰せくだされたのです。

後年、四郎兵衛さんは、「あの晩、もし教祖のお咳が聞こえなかったら、また、翌朝あのお諭しをいただかなかったら、気の短い自分はどうなっていたかわからない」と述懐しました。(教祖伝逸話篇123「人がめどか」)

 

教祖のお咳一つを聞いただけで、意地も憤怒も一度に消え去り、ただ、教祖をお慕いする気持ちで胸がいっぱいになってしまう。日夜限りない親心で人々を慈しみ、お連れ通りくださる教祖は、これほどまでに力強く、信仰者たちの心の奥深くに影響を与えておられたのです。

(終)

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