(ラジオ天理教の時間)
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第1180回2022年5月28日・29日放送

安心感は足元にある

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1159回

おとうさん、「ひだまり」をありがとう

信仰一筋に生きた父の86年の生涯。読書、物の不自由、母親の信仰。この三つが自分を育ててくれたと常々口にしていた…

おとうさん、「ひだまり」をありがとう

青森県在住  井筒 悟

 

誤嚥性肺炎で入院していた父は、私たち家族の強い希望で退院が許され、我が家に帰ってきました。最期を迎えるお父さんと共に過ごしたい。誰しもそう思っていました。

退院して一週間、遠くの親戚家族も駆けつけ、父に寄り添いました。話しかけると大きく目を開き、言葉に出せない思いを、子どもたち、孫たちの手を強く握り、伝えていました。孫たちは夜通しベッドの側から離れようとせず、寒くなるとおじいちゃんの布団に潜り込みました。父は、孫たちの心をこんなにもつかんでいたのか。

やがて夜が明けました。「お父ちゃん」「おじいちゃん」「前会長さん」みんながそれぞれの呼び名で話しかけます。小さな病室に20人ほどが集まり、静寂な夜明けとは裏腹に、賑やかな室内を朝日が照らしていました。

生まれ育った風と匂いに包まれながら、父は86歳で静かに旅立ちました。

父は私たち家族に、生きていく上で大切なことをよく話してくれました。

たくさんの本を読みなさい、と口癖のように言っていました。本を読むことで自分の世界観が大きくなるんだと。父の元には友人や恩師からたくさんの本が集まり、雑誌一冊すら捨てようとしないので、部屋の床があちこち本の重さで沈んでいます。

父は小学6年生の時、実の父親を亡くしました。下に三人の幼いきょうだいがおり、女手一つで家を切り盛りする母親をたすけ、貧しい中で生きてきました。来る日も来る日も粒のないお粥をすすり、常にひもじい思いをしていたのです。

しかし、父は言います。若い頃の貧しさが、心を豊かに育ててくれたんだと。そしてそこには、天理教教祖・中山みき様「おやさま」の通り方をひながたに、どんな時も決して悲観せず、心明るく生き抜いた母親、私から見れば祖母の存在があったのです。

読書、物の不自由、母親の信仰。自分を育ててくれたものとして、父はこの三つをよく口にしていました。

父は高校で教鞭をとり、市の教育委員も務めましたので、取り分け教育には人一倍情熱を注いでいました。

私が中学生の時、母校が「君たちは、なぜ荒れるのか」という特集でテレビの取材を受けるほどの問題校になっていました。

父は、事情を抱えた子どもたちを教会で預かることを決意します。そのため私は、同い年ぐらいの生徒と寝泊まりを一緒にする不思議な生活になりました。

教会に住んでいる大勢が一つの家族です。日中も、学校に行きたくない生徒が次から次へと教会に集まってきます。教員やPTAの保護者も協力し、さながら中学校の分校のような様子でした。

人は生きていく上で、自分を好きになり、自分を認めていく「自己肯定感」が必要です。父は、心が満たされない子ども達に、「君は必要とされている、愛されているんだよ」と、親代わりになって伝えたかったのだと思います。

父による信仰的な取り組みもあって、やがて荒れる学校は落ち着きを取り戻していきました。

当時、中学の校長先生から一通の手紙が届きました。

「しわくちゃになった紙を丁寧にのばすような、生徒に対しての優しい心遣いがとても勉強になりました。人を育てるためには、教育現場でも信仰的な心が大切だと気づきました」と、父に対してのお礼がつづられていました。

父は私たち家族に、「優秀でなくてもいいから、喜ばれる人間になりなさい。そして、相手に喜ばれるためには、人の痛みがわかる人間になることだ」と、事ある毎に伝えていました。

がんで倒れた時も、「自分が病んでみて、初めて人の痛みが分かった。ありがたい、ありがたい」と言い、「私は病気がたすかったのではなく、病気によってたすけられたんだ」と喜んでいました。

死を目の前にして、いささかカッコ良すぎると思いましたが、何度も奇跡の生還を果たした父の姿を目の当たりにし、死を肯定的に受け入れていくことの大切さを学んだ気がしています。

この身体は、神様からの「かりもの」であると教えられています。人は寿命によって、お借りした古い着物を返し、また新しい着物を借りて、この世に生まれ替わってくる。これを天理教では「出直し」と言います。

貸し主の気持ちになって考えてみれば、ボロボロにして返されるのと、綺麗にして返されるのではどちらが嬉しいでしょうか。健康に留意し、生活習慣を整えることも大切ですが、貸し主である神様に喜んでいただくには、やはり心のあり方を整えることを考えなければなりません。

以前沖縄で、毒蛇であるハブの話を聞いたことがあります。蛇は、怒って相手を威嚇する時に毒が出るのだそうです。人間も脊椎動物の進化系ですから、怒ると身体に毒を作ってしまう。そんなお話でした。

怒りから出る負の感情、不平不満や愚痴、人への悪口などの毒が、身体を壊してしまう原因となる。身体を綺麗にして返すためには、不平不満、愚痴をやめることが必要です。

昨年、父と親交のあった、遺伝子研究で有名な村上和雄先生も亡くなりました。先生の著書には、笑いと遺伝子の関係について書かれています。笑いが免疫力を上げ、健康に効果があることは、今や常識になりました。

そしてさらに面白いのは、笑った人だけではなく、相手に笑ってもらおうとする人も、遺伝子にスイッチが入り、病気を遠ざけられるというのです。つまり、自ら大いに笑い、人を笑わせながら生きることが、身体を綺麗にして返すことにつながるのです。

よく、人が亡くなると、「たすかりませんでした」という表現を使います。が、父は言います。

「死は、たすからない姿ではないし、ましてや敗北でもない。たすからない姿が死であれば、人は皆たすからないで人生を終えることになる。そんなことはないんだよ。『今まで、この身体をお貸しいただいてありがとうございます』と言って、ニッコリ笑って出直すんだ。そしてまたこの世に生まれてきて、皆さんと会うことができる。楽しみだなあ。だから亡くなる時というのは、神様にお礼を申し上げる感謝祭なんだよ」。

父が亡くなった時、自分でも驚くほど涙は出ませんでした。悲しみよりも、父の最期に真剣に向き合えたという達成感のほうが大きかったように思います。

お通夜も告別式も、できる限りの感染対策をしながら、希望される方に参列していただきました。とてもお葬式とは思えない、笑いに包まれた場となりました。

「人様に喜ばれていれば、それでいいんだよ」
ニコニコした父の声が聞こえてくるようでした。

「おとうさん、たくさんの学びをありがとう」

 父への思いが、ひだまりとなってよみがえる日々です。

 


 

眼に見えない世界

 

私たちは普段の暮らしの中において、眼に見えるものだけではなく、眼に見えない世界を意識することも大切です。たとえば木を育てる場合でも、葉の茂り具合や花の色合いに心を配るだけでは、立派な木に育てることはできません。幹や枝を支えている、地中深くに隠れた根の部分にも十分に心を配る必要があります。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たちの眼に見えない「心」について、次のように教えられています。

  どのよふな心もしかとみているで
  月日このたびみなわけるでな(「おふでさき」十一 7)

  口さきのついしよばかりハいらんもの
  心のまこと月日みている(「おふでさき」十一 8)

「見抜き見通しの神は、どんな人間の心遣いも、余すところなく見ている。そして、このたびは、その是非善悪をすべて明らかにするであろう。ゆえに、ただ口先だけで追従を言ったりするようなことは断じていらないのであって、神はすべての者の心の誠をしっかりと見ているのである」

たとえ心の中で何を思ったとしても、言葉や表情に出さなければ大丈夫。他の人に知られないなら問題はない。私たちはともすれば、そんな考えに落ち込んでしまいがちです。それが、口と心と行いが一つにならない通り方の大きな原因です。

眼に見える形を整えるよりも、まずは心のあり方を整えること。その意味で、ここで仰せられている「追従」、口でお世辞を言いながら、心の中で舌を出すようなことは、最も慎むべきことです。

(終)

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