(天理教の時間)
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第1276回2024年4月5日配信

人生最大のラッキー

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1147回

感謝のカタチ

「いただきます、まぁおいしそう!」我が家の食事の前の挨拶だ。子どもたちの元気な声が食卓に笑顔を運んでくれる。

感謝のカタチ

 岡山県在住  山﨑 石根

 

「いただきます、まぁおいしそう!」
「ごちそうさまでした、あぁおいしかった!」

食事の前に合掌して、食事を作ってくれた人、また食べ物の命そのものに、そして何より神様のご守護に感謝して、「おいしそう」という言葉を添えて食事が始まります。教会である我が家で、父の代から長年続けていることですが、今は子どもたちがいるので元気な声が響きます。

今から25年前、当時教会に住み込んでいたやっちゃんが、一年間の神戸での布教生活を終え、その合宿生活から持ち帰ってきてくれた食事の挨拶です。やっちゃんは若い女の子でしたので、その明るい声と素直な実行に、食事を作った人はもちろん、周りのみんなが笑顔になったそうです。それを父が教会のみんなで実践しようと提案し、今では私たちの教会の代名詞のような取り組みになりました。

最近は三男と末娘が、交互に当番で「合掌!」と笑顔で号令をかけてくれます。

「いただきます、まぁおいしそう!」

ところが、お箸を持つと真っ先に、苦手な野菜を私のお皿に運んでくるチビちゃんたち。「今、おいしそうって言うたやん」と、その形だけの姿に思わずツッコミを入れそうになります。

ただ、子どものこうした素直な姿勢は、しばしば私たち大人を元気づけてくれます。今は感染対策としてやむを得ず休止していますが、私たちの教会で10年以上ずっと継続している「教会おとまり会」という行事があります。文字通り、子どもたちが教会にお泊まりする行事ですが、参加した子どもたちの保護者に一番喜ばれる取り組みが、実はこの食事の挨拶なのです。

うちに帰ってからも、子どもたちが大きな声で「おいしそう」と言ってくれる。私たちが一番伝えたい食べる時の感謝の姿勢が、図らずも保護者からも一番感謝される点となっています。信仰云々以前に、すぐ素直に実行する子どもたちに対して、毎回こちらが頭の下がる思いがしています。

もう10年以上前のことです。ある晩、寝る前に突然妻が手をついて私にお礼を言ってきました。

「今日も一日ありがとうございました」

あまりにも急な、改まってのことだったので、「実家に帰らせて頂きます」と続くような勢いを感じ、「僕、何か粗相したかなあ」と不安になりました。

妻が言うには、その日聞いた天理教のお話で、「夫婦が拝み合い、お互いに感謝をする姿勢が大切」と教えてもらったそうで、さっそく講師の先生の真似をしてみたとのこと。妻の素直さに、私は何だか「先にやられた~」と悔しくなったのを覚えています。

それ以来、寝る前にお互いにお礼を言うことが習慣となり、私が御用で外泊する時には、妻はその方角に向かってお礼を言っているとも聞きましたので、私もどこにいても実行するようになりました。

だからと言って、夫婦円満という訳ではもちろんありません。しかし、小さな夫婦喧嘩があっても、寝る前のそれで清算されます。仲直りのきっかけとでも言うのでしょうか…。今では子どもたちが増えてきましたので、子どもたちともお礼を言い合ってから、就寝するようにしています。これまた、子どもたちにとっても、兄弟喧嘩のリセットになっているようです。

事ほど左様に、「感謝」は無敵だと思います。たとえ形だけであっても、数え切れない神様の大きなご守護に「感謝」の姿勢を示すことは、神様へのご恩返しの基本中の基本なのかも知れません。

妻とお互いお礼を言い始めた頃に、もう一つ夫婦で始めたことがあります。

「そう言えば、食事をする時に感謝を込めて手を合わすのはよく耳にするけど、それを身体から外に出す時には、手を合わそうとはあまり聞かないよね」という話になったのです。

そのように考えると、あれもありがたい、これもありがたいと、いかに身の周りに感謝することがたくさんあるかに気づき、まさに形からであっても、感謝の心を具体的な態度に表そうとなりました。

そこで、食事だけでなくトイレの時、朝起きた時や寝る前、お風呂に入る前と出る時など、できるだけ色々な場面で手を合わせることにしたのです。

教会では、食事の前に手を合わせ、柏手を二回鳴らします。「パン、パン」と手を叩き、「いただきます」と言葉にします。ですから、トイレから「パン、パン」と手を叩く音が聞こえてくると、「なに~?」と子どもたちが返事をしたり、「お母ちゃんはトイレに隠れて、何か美味しいもんでも食べてるんかなあ」と思ったり…。

と、これは冗談ですが、でも、そんな夫婦の日々の姿を見て、子どもたちも大なり小なり感謝の姿勢を意識するようになった気がします。

例えば、三男がまだ就学前のある日、一緒に入浴中の妻に、「今日、お風呂誰が焚いたん?」と尋ねてきたそうです。わが家は今どき珍しい、薪で焚くお風呂を使っています。その日は父が焚いたので、そう伝えると、「神様、おじいちゃん、ありがとう」と言って、小さな手を合わせてから湯舟のお湯を身体にかけたそうです。そんなことが何度か続き、本当に小さなことですが、私たち夫婦は何とも言い難いうれしい気持ちになりました。

私が、天理で三カ月間教えを学ぶ「修養科」の生徒さんのお世話をさせて頂いた時のこと。ある日の食事前、配膳されたお弁当箱には中身の見えない蓋がしてあったのですが、私は元気よくいつものそれを実行しました。

「いただきます、まぁおいしそう!」

すると、すかさず生徒さんから、「先生、お弁当の中身は見えてませんけど、何がおいしそうなんですか?」

普段子どもに「形だけやなぁ」と指摘している私に、神様から「あんたのほうが形だけやなぁ」とご指摘を受けた気がして、思わず赤面してしまいました。

とはいえ、まずは形からでも、感謝の言葉は具体的に声に出したいものです。ありがとう、おいしかった、たすかったよ、うれしかった、おかげさまで…。

今日もまた、新しい朝が始まりました。目が見える、耳が聞こえる、身体が動く…ご守護であふれ返っています。

神様、ありがとうございます。

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