(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1118回

妻が一段と優しくなりました

働き者の妻が、腹痛を訴え入院。その時、心と身体に関連した「疾病逃避」という現象を思い起こした。

妻が一段と優しくなりました

青森県在住  井筒 悟

 

去年の暮れ、妻が激しい腹痛を訴え入院しました。虫垂炎が原因で、毒素が体中に回り、敗血症の状態だったのです。
私が県外から帰宅したばかりだったので、配偶者である妻は、新型コロナウイルス感染防止のため、まず病院の駐車場でPCR検査を受けました。結果は陰性でしたが、それまでは診察してもらえず、その間一日中、ひたすら痛みに耐えていました。感染防止のため仕方ないとはいえ、夫が県外に仕事に行っただけで、自分が感染者のように扱われたことにショックを隠せない様子でした。結果、手術はせず、点滴での治療となりましたが、一週間ほど入院することになりました。

妻はとてもよく働きます。朝5時に起き、掃除洗濯、子供たちの弁当を作ると、朝食の準備。大家族ですから、自分がゆっくり食事をする時間がほとんどとれない毎日です。毎度の食事を楽しみにしている両親のために、どんなに忙しくても自分以外の献立に手を抜くことはありません。

また、神様へのお供えものとしていただく野菜や、青森の名産であるりんごやぶどうなどを、ご近所にお配りしたり、全国各地のお世話になった方々へ配送したりします。

さながらわが家は青果市場のようですが、これらはすべて妻が責任を持って行います。新鮮なうちに食べてもらいたいという気持ちから、寸分のいとまを惜しんで作業をするため、身体には当然無理がかかります。

 「少し休んだほうがいいと思うよ」と言っても手を休めることはなく、また次から次へと他にやるべきことが舞い込んできます。

そんな妻ですから、入院という事態を目にした子供たちの反応は、「お母さん、やっと休めるね!」というものでした。母親の病気を心配するより、安堵感のほうが大きかったのでしょう。妻が休むためには、病気になるほかなかったのかもしれません。

話は少し変わりますが、最近、親戚の若い女の子が、ひどく苦しんでいた腰痛から解放されました。彼女は頭脳明晰で、何でもそつなくこなす能力の高い女性なのですが、腰痛のためにたくさんの夢や、やりたい仕事を諦めざるを得ませんでした。心の辛さを感じる余裕もないほどの、強烈な痛みに襲われる毎日だったといいます。

そんな彼女に不思議なことが起こります。手術当日の朝、突然痛みが消え、異常が見当たらなくなりました。入院し、仕事のプレッシャーや対人関係から解放され、心の重りが軽くなったことで、腰の激痛がなくなったのです。結局、手術の必要がなくなり退院となりました。彼女の母親は、驚きを隠せない様子で教会にお礼に来られました。

心と身体に関連した「疾病逃避」という現象があります。心が受けた痛みや、これから受けるであろう痛みを潜在意識が察知し、心が壊れることを避けるために、身体に働きかけ疾病を生み出すのです。

私たちの心には、普段意識されている部分の他に潜在意識、いわゆる無意識層というものが広がっているといいます。自分の中にいる、自分では気づかない潜在意識が身体に異常を表し、警報を鳴らす。それが「疾病逃避」です。心が病気を作るとも言えるし、病気になることで心を守っているとも思えてきます。

妻が患った虫垂炎、いわゆる盲腸であっても、心が原因で起こるというお医者さんもいます。妻の場合も、対人関係においていわれのない非難や中傷を受け、心に辛さを抱えていました。
「もっと頑張れる。今やらなければ」と張り切る姿の影で、もう一人の自分である潜在意識が「休みましょう、そうしないと心が壊れてしまいますよ」と訴え続け、腹痛を起こしたのかもしれません。

入院中、絶食が七日間続きました。その間、カロリーを一番必要とする脳を休めたおかげか、何も考えない時間が作れたといいます。そして、「素直になった気がする」とも言いました。加えて、コロナ感染防止で、一切の面会や差し入れが禁止されていたために、外からの情報が遮断され、心を休める環境下にあったことも幸いしました。

さまざまな要因が重なって、あれこれ抱えていた悩みが消え、心の状態が鏡に映るがごとく、身体から毒が消えていきました。そして、妻は一段と優しくなって帰ってきました。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、

 やまひのもとハこゝろから(みかぐらうた十下り目10)

 みなせかいのむねのうち 
 かゞみのごとくにうつるなり(みかぐらうた六下り目3)

とお教えくださいました。

心がもたらす不思議な世界にあらためて感激し、胸が熱くなりました。

 


 
神様からの宿題 -家族力の大切さ-
 (「人間いきいき通信」 2002年10月号より)

 

最近、ニュースを見ていると、家族同士が絡んだ事件の多さに驚く。
「親が子を―」「子が親を―」だけではなく、「夫が妻を―」「妻が夫を―」「嫁が姑を―」「姑が嫁を―」などなど、いったい世の中どうなっているんだと問いかけたくなるような出来事が巷にあふれている。

「親ならばこれくらいは分かっているはず」
「夫婦ならば当然このくらいは」
といった、昔なら当たり前とされた家族の常識は、いまや通用しなくなっているようだ。
その原因は、世の中の変化にあることも確かだが、家族というものがもともと持っているはずの自己治癒力や再生力が弱まり、その結果、家族間にさまざまな歪(ひず)みが生まれてきたことにもあるのではないだろうか。

家族という組み合わせが持つ力は不思議なもので、プラスに働くときとマイナスに働くときで、まったく違う結果を生み出す。

たとえば、誰かが病気になったり、問題を起こしたりしたときにマイナスに働くと、取り返しのつかないほどに互いの心をすれ違わせることが少なくない。お互いへの思いが強く、心の距離が取りにくい間柄ゆえに、心の糸がひとたび絡み合うと容易にはほどけなくなり、夫婦、親子の問題が、二代、三代にわたる〝家族の宿題〟として残されていくことにもなりやすい。

しかしプラスに働くとき、それらの問題は、家族間のアンバランスを壊して、家族が持つパワー、「家族力」を再生、活性化させ、家族の成長を促す大きなチャンスとなる。

「家族力」が順調に働けば、喜びや楽しみは二倍、三倍に膨らみ、悲しみや苦しみは何分の一にもしぼんでいくものだ。そうなるためには、一人ひとりが自分中心の考え方にとらわれず、ほかの人に思いやりと感謝の心を持って接するよう心がけていくことが大切だと思う。

「夫婦なんだから」「親子なんだから」と互いに都合よく甘えることなく、しっかりと相手の個性を認め、たまには譲り合い、頭を下げ合うくらいの覚悟を持って付き合っていくことだ。それが心と心の適正距離をつくっていくのだと思う。

家族の組み合わせは星の数ほど存在する。それらはいずれも、神様が配置された絶妙のものだ。

自分たちに与えられた組み合わせを生かして、どう家族を創り続けていくのか、お互いの個性をどのように重ね合わせて、どんなハーモニーを奏でていくのか、これもまた神様から与えられた宿題である。

(終)

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