(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1113回

「コロナ禍」で気づいたこと

オンラインで信者さんと話し合いの機会を持ったところ、コロナ禍でも多くの喜びの声や、前向きな活動の報告が。

「コロナ禍」で気づいたこと

三重県在住  中森 昌昭

 
新型コロナウイルスの感染拡大が、私たちの暮らしを大きく変えています。冬の風物詩となっている様々な行事や、街を彩るイルミネーションも取りやめとなり、寂しさを感じている人も大勢いらっしゃると思います。

逆に、感染し、寂しさを感じる余裕もなく、闘病生活を余儀なくされている人、また、厳しい状況の中で懸命に働いてくださっている、医療関係者をはじめとするエッセンシャルワーカーの方々もおられます。

その一方、失業に追い込まれ、悪戦苦闘されている人、不安や恐怖から外出を控えたため、運動不足となり足腰が弱っている人、人と話す機会が減って認知機能が低下し、認知症になるのではと心配な人、あるいは長期にわたる自粛生活のため、いわゆるコロナ疲れ、コロナうつの症状がみられる人など、何らかのケアが必要な人も増えているとのことです。

こうした中、先日、私どもの教会で、会議用アプリを使ってオンラインで話し合いの機会を持ちました。テーマは、「コロナ禍の大変な日々の中で実践していることや、喜べたこと、気づかされたことを語り合おう」というもので、小学生から高齢者まで、100人を超える人が参加してくれました。

ある高齢の婦人は、「息子の仕事がテレワークとなり、家にいることが多くなって有り難い。とりわけ、孫が学校から帰ってきた時も、食事をする時も、『ずっとお父さんがいる』と喜んでいる姿を見て嬉しかった」と話し、ある父親は、「子供たちと過ごす時間が増え、子供の様子が良く分かるようになり、家族の絆が深まったように思う」と話してくれました。

また、農業に従事している人が、「大学生の子供が、はじめて田植えを手伝ってくれた」と頼もしそうに語ったり、ある主婦が「子供が自主的にゴミ出しをしてくれるようになった」と嬉しそうに話すなど、家の用事を進んでする子供が増えているようです。

中には、「人間にとっては大きな変化だが、自然界はいつも通り。天然自然の恵みをいただいて、野菜や果物などを旬に応じて収穫させていただき、普段以上に有り難さを感じた」と、これまであまり感じていなかった気づきを得た人もありました。

また、「日常健康に過ごしていることが当たり前ではなく、本当に有り難いことなんだと気づかせていただいた」と、あらためて感謝の思いを強くしたという人も少なくありませんでした。

あるトラックの運転手さんは、自分のような仕事は、全国各地を移動しながら、ウイルスを拡散させていると思われているのではないかと、不安に感じながらトラックを走らせていたそうです。

ところがある時、サービスエリアで休憩していると、「運転お疲れ様、頑張ってください」と、励ましの言葉を掛けてもらったり、「トラックドライバーの皆さん、ありがとう」という感謝の言葉が記された看板を見かけて嬉しかったことなど、こうした時だからこその体験も聞かせてもらいました。

また、小学生からは、学校の体育で、嫌いだった持久走がなくなって良かったとか、若い女性からは「マスクをするのはあまり好きじゃなかったけれど、マスクのおかげでお化粧をする時間が短くなって有り難い」といった、笑いを誘うような報告もありました。

こうした体験談に加え、ごみ袋で使い捨てエプロンを100枚作り、施設に寄付したという人など、世の中のニーズに合わせて具体的な動きを始めた人の報告もありました。

ご主人を亡くしてから一人暮らしとなったある婦人は、地域の雰囲気を少しでも明るくできればと、道路沿いのプランターに花を植え始めました。彼女は、「町内の人も喜んでくださって感謝の言葉を掛けてもらったり、花の育て方を指導してくれる人もいて、この活動で人とのつながりが広がって、コロナ自粛の中でも孤独を感じずに、一人暮らしを楽しんでいます」と、自らが植えた花の写真を見せながら話してくれました。

また、別の70代の女性は、数年前に脳梗塞を患い手足に不自由を感じながらも、マスクをこれまでに500枚以上作ったといいます。
彼女は、「私のような者が作ったものを使っていただけるか心配でしたけど、皆喜んで受け取っていただけたことが嬉しかったです。作り続けているうちに、マスク作りに必要なゴムや布を提供してくださる人もあって、ほとんど材料を自分で買うことなく、たくさんの人の協力のおかげで作らせていただくことができました。最近はマスクがどこでも買えるようになったので、マスクケースを作っています」と弾んだ声で話してくれました。

何か人の役に立つことをしたいと思案し、積極的に行動に移した三人の方の体験を聞きながら、実行することの大切さを身にしみて感じました。

何でも知識として知っているだけでは、何も変わりません。神様の「日々行いを第一」(「おさしづ」M33.12.7)とのお言葉が頭をよぎりました。

90歳になる母が以前、天理教本部へお参りに行った時のことです。駐車場から神殿まで少し距離があったので、手押し車を押して神殿に向かいました。

参拝場へと上がる石段の手前に手押し車を止めると、小学校低学年ぐらいの男の子が走って近づいてきて、「おばさん、お手伝いしようか?」と声を掛けてくれたというのです。母はそのことが嬉しくて、家に帰るや否や興奮気味に皆に話していました。

よたよたと手押し車を押しながら歩いている姿を見て、危ないと思ったのでしょう。その姿を見てすぐに行動に移した男の子、素晴らしいですね。良いと思ったことをすぐ行動に移すことは、なかなか難しいものです。嬉しそうに話している母の姿を見ながら、声掛けと実行することの大切さを改めて教えられました。

長期にわたる感染予防によって体調を崩したり、気持ちが落ち込んでいる人も増えているとのこと。こうした悩み苦しむ人や、寂しい思いをしている人に寄り添い、少しでも力になれるよう「声掛け」と「実行」に努めたいものです。

いまこそ、「励まし合い」と「たすけ合い」が求められています。

 


 
一粒万倍

 
テレビで、アメリカのある有名大学での人気講義が放送されていました。「リーダーシップとは何か」と題したその講義で、世界中から集まってきた学生たちに向かって、教授は「私たちは数値化の世界に住んでいる」と話します。

「君たちは、ありとあらゆる種類の数値化のツールを学ぶだろう。会社や国家、組織、学校や家庭でさえも予算なしで経営することはできない。しかし、数値化に慣れてしまうと、私たちは数字が真実を表していると思うようになりがちだ。数値化できない真実はたくさんある」。そして、教授はこう強調しました。

「善、すなわち善い行いは数値化してはならない」。

「人は自分が達成したいと願うことを、すべて達成することは出来ない。一国の大統領を務めた人で誠実な人は、誰でも絶望した状態で職を辞す。何故なら、成し遂げたかったことを成し遂げられなかったからだ。一人の子供の目に光を灯すことが出来たのならば、君は数では表せない善を行ったことになる。一つの命を救うことは世界を救うことだ」。

思えば、人は生まれた時から数字というものと切っても切れない関係にあります。年月を数え、時間に左右されながらの生活、学校に上がればテストの点数で評価は数値化され、仕事につけば成果によって報酬が決まります。人生とは、数字との格闘の連続だと言っても言い過ぎではないかもしれません。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、ある時、一粒の籾種をお持ちになり、このようにお諭しくださいました。

「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍(いちりゅうまんばい)と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで」(教祖殿逸話篇 30「一粒万倍」)

数をめぐる様々な問題が世の中から消えることはないでしょう。私たちの日常においても、数に悩まされる現実が途切れることはありません。

そんな中、「数を生み出す元は、一粒の真実の種である」との教祖の教えは、私たちに勇気を与えてくださいます。

忘れてはならないのは、日々、地道に真実の種を蒔き続けること。その延長に、数え切れないほどの「善」にあふれた世界が現れてくるのではないでしょうか。

(終)

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