第1108回2021年1月9日・10日放送
千里同風
娘の保育園の送り迎えをする私に、妻は園での様子を詳しく聞いてくる。気のない返答に、妻の厳しい視線が…。
千里同風
奈良県在住 遠藤 正彦
「連絡帳に今朝の体温を書いた?」
朝食の食器を片付けながら妻が尋ねます。
「測ったけど、まだ書いてない。今朝は6度5分だった」
私は走って逃げる娘を追いかけ、着替えを始めるところでした。
「オッケー、書いておくね。オムツは大丈夫?」
「さっきは大丈夫だったけど…うわ~、たっぷり出てる。替えておくから、間に合うように出てね」
「わかった。連絡帳はかばんに入れておくから忘れないでね。あと、最後に戸締まりもお願い」
「了解。気をつけてね」
「あなたも」
そう言い残すと、妻は玄関を飛び出していきます。
私は何とか娘の着替えを済ませ、オムツを新しく替えると、火の元、戸締まりを確認、自分と娘のかばんを車に積み込み保育園へと向かいます。こうして我が家の朝は、今日も慌ただしく過ぎ去っていくのです。
二か月間の待機児童生活を終え、ようやく決まった保育園は、希望していた近所ではなく、少し離れた場所にあります。そこは妻の職場とは真逆の方向にあり、私の職場のほうが近いことや出勤時間などを考え、送り迎えは私がすることで相談がまとまりました。
年度の途中からということもあり、最初は慣れない環境に涙を浮かべていた娘でしたが、保育士さんたちの優しい対応や、おいしいお昼ご飯に惹かれたのか、次第に笑顔でいることが増えていきました。
保育園に慣れてくれたのは良かったのですが、成長と共に娘にも自我が芽生え出しました。それまで機嫌よく食べていた朝ご飯も途中から遊び食べになってみたり、車の中でもチャイルドシートにおとなしく乗らず、背中を反り返らせては駄々をこねるようになっていきました。
入園当初は、今日も泣かずに保育園で過ごしているかを心配していた私ですが、この頃は、どうしたら自分の出勤時間に間に合うように朝、機嫌よく保育園に送り出すことができるか、と考えるようになっています。
最初は分からないことだらけの保育園生活が、毎日毎日送り迎えをすることで、すべてが当たり前の光景になっていきました。
そんなある日のことです。
「ねえ、今日は保育園でどんな様子だった?」
ようやく眠りについた娘に布団を掛けながら、妻が聞いてきました。
「まあ、いつも通りかな。園でのことは連絡帳に書いてあるよ」
「保育園への行き帰りはどう?」
「それもいつも通りかな。帰りはちょっと泣いてたけど、最後は泣きやんでたよ」
妻の問いかけは耳に入るものの、頭の中では明日の予定など、まったく別のことを考えていました。そんな様子を察してか、妻の声のトーンがやや下がりました。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。保育士さんも、いつもと変わらず元気だったって言ってたし、何も心配ないよ」
変わらない私の態度に、妻の視線が厳しく迫ります。
「聞いて。私はあなたがちゃんと様子を見ているか、責めてるわけじゃないの。こうやってぐっすり眠ってる姿を見れば、保育園で楽しく過ごしてきたんだなっていうことは私にもわかるよ。でもね、今日は今日で送り迎えの時にどんなことがあったかを知りたいの。家を出て離れたって、忘れてるわけじゃないの。仕事場までの電車の中でも毎日毎日、今どうしてるかな、元気にしてるかなって考えてるの。離れていても子供を思う気持ちは一緒でしょ」
妻の思いは私の心にズシンと響きました。
私は、知らず知らずのうちに送り迎えをすることや、娘と一緒にいることが当たり前になっていました。
思い返せば娘は、最初、私が持っていた保育園用のかばんを自分で持ちたがるようになったり、最近では、二階にある教室までの階段を、手すりにつかまりながら自分の足で登ろうとするようにもなっています。
こうした変化も、毎日送り迎えをする私にとっては見慣れたものですが、妻にとってみれば大きな成長の証なのです。
昔、天理教のある先生は、困っている人や悩んでいる人のおたすけに行く際、どこで、どんな人が、どんなことで困っているのかを、奥さんに事細かく話をしてからおたすけに向かったそうです。
それを聞いた奥さんは、その場所が遠く離れた所でも、自宅にいながら先生と同じ気持ちで、困っている人のたすかりを神様にお願いしていたのです。
そうして多くの人がたすかっていったのですが、ある時、先生が奥さんに説明しないままおたすけに出向いたところ、すっきりとご守護をいただけないことがありました。
そのことに気がついた先生は、改めて自宅に戻って奥さんに話をするとともに、夫婦二人で心を揃えてお願いすることで、ご守護をいただいたそうです。
遠く離れているところにも同じ風が吹くように、たとえ夫婦別々の場所にいても、お互いに心を揃えて願う気持ちを、神様は必ず受け取ってくださるのです。
ふと目をやると、娘は安らかな寝息をたて、私たち夫婦に優しい風を送ってくれているのでした。