(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1250回

毎日がアドベンチャー

妻から「次男が夜遅くなっても帰宅しない」と連絡が。仕事中で動くに動けず、気が気ではない。

毎日がアドベンチャー

岡山県在住  山﨑 石根

 

天理教では、朝夕におつとめを勤めます。

朝づとめでは、神様からお借りしている身体を、人様に喜んでもらえるように使わせて頂くことをお誓いし、夕づとめでは、元気いっぱいに身体を使わせて頂いたお礼と共に、その日一日の反省とお詫びを神様に申し上げます。教会である我が家でも、子どもたちに「朝に夕にお礼をしようね」と伝え、毎日家族みんなでおつとめを続けてきました。

6月末のある日のことです。その日私は、天理教教会本部のある奈良県天理市で仕事をしていました。夜7時から開かれたオンラインの研修会で、私は司会を担当していました。

まさにその研修の最中に、私の予定を把握しているはずの妻から電話が掛かってきたのです。携帯電話はマナーモードにしていたのですが、ブルブルと震える音に気付いたので、電話はとらず「今、講義中」とだけメールをしました。

何か緊急事態なのだろうと察しはつきましたが、すぐに「中学三年生の次男が、朝から友だちと遊びに行ったきり帰ってこない」と返信が来ました。すでに夜7時半を過ぎていました。夕食の時間にも夕づとめの時間にも帰って来ない、こんなことは今までありませんでした。

「家出をするような子ではない」というのは親の勝手な思い込みですが、どこかで事故に遭っていないか、何か事件に巻き込まれていないかと、オンラインの研修中とはいえ、気が気でありませんでした。

幸い私は司会者でしたので、講師の先生が話している最中に、息子の親しい友だちの親御さんの連絡先を妻にメールで伝えながら、それでも動くに動けない状況にヤキモキしていました。

すると、程なくして再び妻からメールが来ました。本人から公衆電話を使って連絡があったと。実は、息子には携帯電話を持たせていません。今どき中学生としては珍しいと言われますが、一緒にいる友達も持っていませんでした。なので、本人も遅くなると連絡がしたかったものの、現在の日本ではなかなか公衆電話が見つからなかったようです。そして、ようやく見つけた電話で、なんと、いま家から8キロも離れた場所にいると、驚きの連絡をしてきたのです。

さらにびっくりしたのは、朝からどこに出かけていたかと言えば、家から30キロも離れた隣町のイオンモールまで、友だちと二人で自転車に乗って行ったとのこと。帰るまでにはまだまだ時間がかかりそうで、妻もすぐにでも迎えに行きたいところですが、自転車を二台積める車もなく、本人たちが「自分で帰る」と言うので、仕方なく帰宅を待つことにしました。

夜9時頃、ようやく帰宅した本人は足もパンパンで疲れ切っていましたが、すぐに妻と一緒に神殿へ。何はさておき夕づとめは勤めたようで、そう妻から連絡が入りました。

さて、天理での仕事を終えて教会に戻った私は、あらためて息子に「結局何やったん?」と、事の顛末をたずねました。最初は隣町のイオンに電車で遊びに行く予定が、人身事故で電車が動く見通しが立たなかったとのこと。そもそも田舎なので、電車は一時間に一本あるかないかで、困った彼らは、いつ動くか分からないから自転車で行こうと、片道5時間かけてイオンに行った訳です。

この辺りの冒険心はあっぱれです。むしろ誇らしいし、何なら少しうらやましくも思いました。しかし、朝9時に出て、5時間かけてお昼2時頃にイオンに着き、やったことと言えばクレーンゲームだけ。お金もないし、何をする訳でもなくブラブラして、夕方4時頃出発し、9時に到着するまでの間に件のやり取りとなったのです。

本人たちにしてみれば、大冒険以外の何物でもなく、「で、どうやったん?行って帰ってきただけやけど、楽しかったん?」と尋ねると、「しんどかったけど、楽しかった」と答えました。

きっと、それは本当の気持ちだと思います。仲の良い友だちと一緒に、ひたすら自転車を漕ぎ、足がつるほどしんどい思いをした長い時間に、私はむしろ拍手を送りたいと思いました。若気の至りでもありますが、青春そのものです。

でもどこにいるか分からず、連絡がつかない時、心配で心配で仕方がなかったのも確かです。なので、「帰ってきておつとめした時、ちゃんと神様にお礼言うたんか?」と、若干説教っぽく聞きました。すると彼は「当たり前じゃがなぁ!」と即答したので、私が驚いて「当たり前?」と尋ねると、興奮気味に「めちゃくちゃ危なかったんじゃけぇな!暗いし!トラックがすぐ横走るし!」と、その大変さを教えてくれたのです。

道中、田舎の真っ暗な山道を自転車で走った彼は、きっと死ぬ思いがしたのでしょう。まさしく大冒険だったようです。その夜のおつとめは、無理やり親にさせられたものではなく、無事に教会へ帰ることができたお礼と感謝の気持ちを、心の底から神様へお伝えできたおつとめだったのではないでしょうか。

人間誰しも大変だった時には、「あぁ無事で良かった」とお礼が言えるものです。しかし、私たちが教えて頂くおつとめは、何もない時こそ、結構にお連れ通り頂いていることに感謝し、つとめることが大切だと聞かせて頂きます。

そのことを考えた時に、このような大冒険をした特別な日はもちろん、平凡な毎日のおつとめにも心を込められるような、将来そんな通り方ができる大人になってほしいなぁと、私は親として、少し欲張りな希望を抱いたのでした。

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし