(ラジオ天理教の時間)
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第1098回2020年10月31日・11月1日放送

イカルからのヒント

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友永 轟

文:友永 轟

第1083回

心の散歩道

就職が決まって早々に、コロナ禍で自宅待機となった四男。元気を失くしていく彼と、働く意味について話し合った。

心の散歩道

青森県在住  井筒 悟

この春、県外の高校を卒業した四男の翔太がうちに帰ってきました。地元の老舗ホテルに就職が決まり、料理人の道を目指すといいます。在学中も、長期の休みの度に帰ってきてはそのホテルの手伝いをしていましたが、いよいよ社会人として本格的にスタートすることになり、実に意気揚々としていました。

しかしながら、入社式の翌日から、新型コロナウイルス感染防止のために自宅待機を余儀なくされ、ホテルも休業となりました。2、3日は友人と話したり、家の手伝いをするなどしていたのですが、自粛が長引くにつれて次第に元気を失っていきました。

私は常々子供たちに、「自分の進路は自分で決めなさい」と伝えていました。翔太は親の言うことに素直に従うことが親孝行だと思っていたらしく、不思議そうな顔をしていたことを思い出します。もし父親である私が息子の進路を決めていたら、働きたくても働けない状況で、思い通りにならない感情を私にぶつけていたでしょう。「親の言うことを聞いてもろくなことはない」と。
しかし、そこまでいかなくともやはり思春期、やり場のない不満が態度にも表れてくるのを感じた私は、彼としっかり向き合って話しをすることにしました。

「天理教の教祖・中山みき様は、働くことについてどのように教えてくださったんだっけ?」と聞くと、「はたはたの者を楽にするから〝はたらく〟でしょ」と、覚えている知識で投げやりに答えます。加えて「人のために働くと言うけど、誰だって稼がないと食べていけない。自分のことで精いっぱいで、人を簡単に幸せになんてできないでしょ?」と反論してきます。

「確かに翔太の言うように、人間は稼がないと食べていけないね。でもね、人間は食べるために生まれてきたわけではないんだ。どう生きるかが大事だと思うよ」と私が言うと、彼は少し興味のある表情を浮かべました。

「翔太は、仕事とは労働であり、それで得た収入で生活できると思っているよね。仕事は『事に仕える』と書くけど、『事』という字の由来には、神に仕える『こと』という意味があるんだ。神様に仕えようと考えて働いている人には、次々に頼まれ事がやってくるから、仕事を失うことはないんだよ。」
「私は天理教の教会長として、朝は神殿掃除に始まり、人様の安寧を祈り、訪ねてくる方の悩みを聞かせていただく。すべては神様から頼まれた御用だと思って、『はい、分かりました』と素直に受けてさせてもらう毎日なんだ。自分の経験だけでは分からないことが多いから、たくさん本を読んだりして勉強もする。すべては神様に仕えるための仕事だから、いつでも楽しいんだよ。今はやることがないと感じて毎日イライラするのも仕方ないけど、やろうと思えば、薪を割ったり掃除をしたり、身の回りにやるべきことはたくさんある。そこに気持ちが向かないというのは、翔太自身の心、考え方の問題かもしれない。この機会に、少し自分の心を見つめ直してみてはどうかな」。

18歳の青年にとっては、少し難しい話だったかもしれません。会社で働いて給料をもらい、運転免許を取って車に乗る。あちこちへ出かけたり、おいしいものを食べに行ったり。そういうことが幸せだと感じるのも無理はありません。
若い時はとかく、自分の外側の世界に強く執着するものです。もっとスタイルを良くしたい、もっとお金が欲しい。しかし、目に見えるものに囚われるあまり視野が狭くなり、いつの間にか「思い通りにならない」という悩みに襲われてしまうことも多いのではないでしょうか。

子どもたちに就職先を自分で決めるように促したのも、意識の成長過程において、自分の内面を深く見つめて欲しいという思いからでした。自らの心に湧き上がってくる気持ちを大切にして欲しいのです。

我が家では地下水を利用しています。冬は生ぬるく、酷寒の青森においては有り難い限りで、夏になれば冷たい飲み水として重宝します。しかし、ぬるく感じたり冷たく感じる地下水も、実は年間を通して水温は変わりません。常に17度から18度に保たれているのです。つまり、変わらない水に対して、温かいとか冷たいと感じるのは「私」自身の問題なのです。

身の回りに起こる出来事に対して、うれしい、楽しいと感じるのも、またつらい、つまらないと感じるのも、自分自身の心が決めています。少し違った視点から物事を見つめ直すだけで、悩みが溶けていくこともあるのではないでしょうか。

天理教では、人間は、神様と共に陽気に暮らすために創られたと教えていただきます。「神様と共に陽気に暮らす」とは、神様の身体である大自然と人間とが調和するということです。空の広大さや大地の力強さ、見事な花を咲かせる木々の生命力…。たとえ外に出られずストレスが溜まる中でも、私たちには、内面で神様を感じ取れるきれいな心が備わっています。不安な心は不安な出来事を、陽気な心は陽気な出来事を呼び寄せてきます。自らの心を見つめて日々を暮らす。そんな大事な時間を神様からいただいているような気がしています。

翔太が聞いてきます。
「神様の仕事をしていて辛いことはないの?」と。
私は答えました。
「毎朝の神殿掃除、誰も見ていないから手を抜こうと思えばいくらでも楽はできる。そこをサボらずにやることがしんどいかなあ」と。

子供たちに、自らの心の中に神様を感じ取れる人間になって欲しいと願うばかりです。

 


 
出会いは神様の〝プレゼント〟

SNSを使い始めると、自分で情報を発信するのと同じぐらい、友人たちの投稿が気になるものです。楽しい話題であれば、「いいね」ボタンでお互いに共感を示し合うのがお約束になっているようですが、こんな例もあります。

独身の三十代の女性Aさんは、友人が発信する結婚や出産の報告、恋人との仲睦まじい様子などをSNSで見るたびに、焦りを感じてしまい、心から喜べないと言います。原因は、以前お付き合いしていた男性から、別れ際に「君には恋愛も結婚も向いていない」と言われた経験がトラウマになっているからだとか。
それ以来、男性と深く関わることを避けるようになったAさんですが、時折「このままずっと独りだったらどうしよう」と不安が込み上げてくると言います。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、男女が夫婦として結ばれることについて、

  せんしよのいんねんよせてしうごふする
  これハまつだいしかとをさまる  (おふでさき1号74)

と教えられています。

生涯を共にするパートナーとの出会いは、当人同士の意思もさることながら、神様の思いが深く関わっているということを、「前生のいんねんを寄せて守護する」とのお言葉で示されています。言い換えれば、運命の人との出会いは、神様が用意してくださるプレゼントだと言えるかもしれません。かと言って、その出会いは、ただ待っているだけでやって来るわけではありません。日々の積み重ねという種まきが、やがては実を結ぶのです。
教祖は、私たちの日々の通り方について、

「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」
(教祖伝逸話篇123  「人がめどか」)

と優しくお諭しくださいました。

考えてみれば、この三つのうちどれ一つとっても、一人でできることではありません。人は恋愛や結婚に限らず、お互いに影響を与え合う存在であり、その影響次第でどのようにでも成人できるのが、私たち人間の特質なのです。

教祖の教えは、人間がたすけ合って生きるための、いわば〝人付き合いの極意〟と言えるかもしれません。

「ずっと独りだったらどうしよう」と思い悩む前に、日々、目の前で出会う人たちに心を尽くす生き方を心掛けてみてはいかがでしょうか。その先に、神様が素敵な出会いを用意してくださっていると信じて……。

(終)

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