(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1250回

毎日がアドベンチャー

妻から「次男が夜遅くなっても帰宅しない」と連絡が。仕事中で動くに動けず、気が気ではない。

お別れに必要だった時間

 

いま日本は、超高齢・多死社会を迎え、「終活」が話題に上り、エンディングノートを準備する人も増えている。とはいえ、急性期病院で高度な治療を望む人も、在宅で穏やかな尊厳死を望む人も、臨終の時期については、神の思惑にゆだねるしかあるまい。

自らの死について、「ピンピンころり」を望む人は多い。しかし、家族のこととなると、急な病状悪化を受け入れられず、本人の意思に反する医療処置を望むことがある。それはかえって、本人にとっては苦痛なだけということも少なからずある。

家族が元気なうちに、「いざというとき、どうしてほしいか」を話し合っておくことをお勧めする。そして、そのときに心残りがないよう、日々、十分に心を尽くしておきたいものだ。

これは私がまだ若いころ、病棟勤務で体験した話である。

悪性の血液疾患で入院中の男性患者Aさんが、突然、大量吐血し、意識不明になった。主治医は、これ以上の延命治療は無効と判断し、呼吸が停止したら、そのまま看取る方針を決めた。それは、Aさん自身から「いよいよ治療の効果がなくなったときは、無用な延命治療はやめてほしい」と頼まれていたからだった。

ところが、ご家族は、すぐにはこの方針を受け入れることはできなかった。迷っているうちに、Aさんの呼吸が止まってしまった。

主治医は急遽、気管内挿管を実施した。しかし、人工呼吸器を取り付けることはせず、アンビューバッグでの人工呼吸を始めた。

そして、ご家族に
「このアンビューバッグを押して、空気を送り込んでいるうちは命がつなげます。でも、やめてしまえば心臓も止まってしまう。あなた方は、Aさんに空気を送り込む、この作業を続けますか?」
と言葉をかけた。

集まったご家族は、
「やります! やらせてください」
と口々に返事をした。

ご家族は順番にアンビューバッグを押した。この動作は、一回ごとにそれほど力はいらないが、繰り返していると手の筋肉が疲労してきて、長く続けられない。経験豊富な医師や看護師でも、救急蘇生の現場では、お互いの疲労の様子をうかがいながら声をかけ合って交代する。

そのご家族は、なんと一晩中、交代でアンビューバッグを押し続け、父であり夫であるAさんに話しかけた。

朝が来て、主治医がベッドサイドを訪れると、Aさんの長男が、こう話された。

「先生、自分たちはアンビューバッグを押させてもらって、父としっかりお別れができました。もう思い残すことはありません。あとは、神様にお任せしたいと思います」

朝の出勤で集まってきたスタッフも、交代でアンビューバッグを押してAさんに労いやお別れの言葉をかけさせていただいた。その後、主治医から最後の人工呼吸を受けた後、Aさんは静かに臨終を迎えられた。

この一夜の人工呼吸は、ご家族がAさんとお別れをするために必要な時間であった。もし、主治医が人工呼吸器を取り付けていたら、このような濃密な別れの時を持つことはできなかったであろう。

当時の若かった私には、人工呼吸器を取り付けない主治医の考えのすべてを推し量ることはできなかった。いまは、その思いを深く噛みしめている。

 


 

毎日がアドベンチャー

 岡山県在住  山﨑 石根

 

天理教では、朝夕におつとめを勤めます。

朝づとめでは、神様からお借りしている身体を、人様に喜んでもらえるように使わせて頂くことをお誓いし、夕づとめでは、元気いっぱいに身体を使わせて頂いたお礼と共に、その日一日の反省とお詫びを神様に申し上げます。教会である我が家でも、子どもたちに「朝に夕にお礼をしようね」と伝え、毎日家族みんなでおつとめを続けてきました。

6月末のある日のことです。その日私は、天理教教会本部のある奈良県天理市で仕事をしていました。夜7時から開かれたオンラインの研修会で、私は司会を担当していました。

まさにその研修の最中に、私の予定を把握しているはずの妻から電話が掛かってきたのです。携帯電話はマナーモードにしていたのですが、ブルブルと震える音に気付いたので、電話はとらず「今、講義中」とだけメールをしました。

何か緊急事態なのだろうと察しはつきましたが、すぐに「中学三年生の次男が、朝から友だちと遊びに行ったきり帰ってこない」と返信が来ました。すでに夜7時半を過ぎていました。夕食の時間にも夕づとめの時間にも帰って来ない、こんなことは今までありませんでした。

「家出をするような子ではない」というのは親の勝手な思い込みですが、どこかで事故に遭っていないか、何か事件に巻き込まれていないかと、オンラインの研修中とはいえ、気が気でありませんでした。

幸い私は司会者でしたので、講師の先生が話している最中に、息子の親しい友だちの親御さんの連絡先を妻にメールで伝えながら、それでも動くに動けない状況にヤキモキしていました。

すると、程なくして再び妻からメールが来ました。本人から公衆電話を使って連絡があったと。実は、息子には携帯電話を持たせていません。今どき中学生としては珍しいと言われますが、一緒にいる友達も持っていませんでした。なので、本人も遅くなると連絡がしたかったものの、現在の日本ではなかなか公衆電話が見つからなかったようです。そして、ようやく見つけた電話で、なんと、いま家から8キロも離れた場所にいると、驚きの連絡をしてきたのです。

さらにびっくりしたのは、朝からどこに出かけていたかと言えば、家から30キロも離れた隣町のイオンモールまで、友だちと二人で自転車に乗って行ったとのこと。帰るまでにはまだまだ時間がかかりそうで、妻もすぐにでも迎えに行きたいところですが、自転車を二台積める車もなく、本人たちが「自分で帰る」と言うので、仕方なく帰宅を待つことにしました。

夜9時頃、ようやく帰宅した本人は足もパンパンで疲れ切っていましたが、すぐに妻と一緒に神殿へ。何はさておき夕づとめは勤めたようで、そう妻から連絡が入りました。

さて、天理での仕事を終えて教会に戻った私は、あらためて息子に「結局何やったん?」と、事の顛末をたずねました。最初は隣町のイオンに電車で遊びに行く予定が、人身事故で電車が動く見通しが立たなかったとのこと。そもそも田舎なので、電車は一時間に一本あるかないかで、困った彼らは、いつ動くか分からないから自転車で行こうと、片道5時間かけてイオンに行った訳です。

この辺りの冒険心はあっぱれです。むしろ誇らしいし、何なら少しうらやましくも思いました。しかし、朝9時に出て、5時間かけてお昼2時頃にイオンに着き、やったことと言えばクレーンゲームだけ。お金もないし、何をする訳でもなくブラブラして、夕方4時頃出発し、9時に到着するまでの間に件のやり取りとなったのです。

本人たちにしてみれば、大冒険以外の何物でもなく、「で、どうやったん?行って帰ってきただけやけど、楽しかったん?」と尋ねると、「しんどかったけど、楽しかった」と答えました。

きっと、それは本当の気持ちだと思います。仲の良い友だちと一緒に、ひたすら自転車を漕ぎ、足がつるほどしんどい思いをした長い時間に、私はむしろ拍手を送りたいと思いました。若気の至りでもありますが、青春そのものです。

でもどこにいるか分からず、連絡がつかない時、心配で心配で仕方がなかったのも確かです。なので、「帰ってきておつとめした時、ちゃんと神様にお礼言うたんか?」と、若干説教っぽく聞きました。すると彼は「当たり前じゃがなぁ!」と即答したので、私が驚いて「当たり前?」と尋ねると、興奮気味に「めちゃくちゃ危なかったんじゃけぇな!暗いし!トラックがすぐ横走るし!」と、その大変さを教えてくれたのです。

道中、田舎の真っ暗な山道を自転車で走った彼は、きっと死ぬ思いがしたのでしょう。まさしく大冒険だったようです。その夜のおつとめは、無理やり親にさせられたものではなく、無事に教会へ帰ることができたお礼と感謝の気持ちを、心の底から神様へお伝えできたおつとめだったのではないでしょうか。

人間誰しも大変だった時には、「あぁ無事で良かった」とお礼が言えるものです。しかし、私たちが教えて頂くおつとめは、何もない時こそ、結構にお連れ通り頂いていることに感謝し、つとめることが大切だと聞かせて頂きます。

そのことを考えた時に、このような大冒険をした特別な日はもちろん、平凡な毎日のおつとめにも心を込められるような、将来そんな通り方ができる大人になってほしいなぁと、私は親として、少し欲張りな希望を抱いたのでした。

(終)

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