天理中学校・天理高等学校 創立100周年記念式典(9・21)

■2008年10月20日

〝天理の教育〟さらなる飛躍へ

神一条の信条教育を基盤に1世紀

真柱様「教内外の期待に応える決意を」

天理中学校(東井光則校 長)と天理高等学校(飯降成彦校長)は今年、創立100周年の節目を迎えた。その記念式典(主催=天理中学校・天理高等学校創立百周年記念事業実行委員 会)が21日、真柱様ご夫妻、前真柱様をはじめ、荒井正吾奈良県知事、県や市の教育関係者など多数の来賓を迎え、天理大学杣之内第1体育館で挙行された。 明治33年の天理教校開校からの流れを汲む両校の歩みは、いまから100年前の明治41年、男子中等教育機関として誕生した旧制天理中学校に端を発する。 それは、本教の一派独立に伴って教育への関心が高まるなか、上級学校への進学資格のある中学校開設を決断された中山眞之亮初代真柱様の厚い親心によるもの だった。以来、両校は幾多の変遷を経て現在に至る。その間、常に信条教育を軸に据え、陽気ぐらし世界実現のための人材育成の中核を担うとともに、教内外、 国の内外を問わず、実業、経済、医療、スポーツ、文化などあらゆる分野へ数多くの人材が輩出してきた。式典には、生徒や教職員、卒業生や保護者ら約3千人 が出席。真柱様はお言葉の中で、神一条の精神に立つ信条教育の意義にあらためて言及され、「教内外の期待に応える決意を新たにして、今日の日を意義あらし めていただきたい」と求められた。(立教171年9月28日号)

総合体育館と新正門完成

天理高・天理中 創立100周年記念事業

● 道の後継者育成の〝道場〟として 【天理高】●

天理高では、創立100周年の記念事業として、老朽化した第2体育館に代わる新体育館の建設を計画。昨年8月に同校別館の南側で起工、約1年の工期で完成した。 「天理高等学校総合体育館」と命名された同館は延べ床面積約2千坪。1階は柔道場と剣道場、トレーニングルーム。1階から中2階にかけては、各クラブの部室が並ぶ。 3階は、全校生徒がてをどりまなびを勤められる広さを確保したというアリーナを備える。通常はバレーボール部、バスケットボール部、バドミントン部の練習場となるほか、入学式や卒業式などの学校行事の際には講堂として使用される。

● 建学の精神に立ち返る思い込め 【天理中】●

天理中では、記念事業として建設を進めていた石製の新正門が、このほど完成した。 約4メートルの門柱は、長年保存されていた旧三島校舎時代のものを使用。今回、真柱様が揮毫された「天理中学校」の木製の門標が掲げられている。 東井校長は「旧校舎時代の門柱を使用したのは、『陽気ぐらし世界を創り上げる人材を育成する』という本校の建学の精神に立ち返る思いが込められている。 当時、門を出た生徒が校舎に向かって一礼、そして神殿に向かって一礼して帰る姿がよく見られた。この門には、そんな良き伝統の復活への期待も込めている」 と話した。(立教171年9月7日号)

天理中・天理高の歩み(略史)

明治33(1900)年4月 天理教校開校

明治41(1908)年4月 立天理中学校開校(天理教校校舎)

大正9(1920)年4月 天理女学校開校

大正12(1923)年4月 天理高等女学校開校(天理女学校より編入)

大正15(1926)年7月 私立天理青年訓練所開設

昭和2(1927)年4月 私立天理青年訓練所、「私立天理青年訓練所中等夜学部」に改称

昭和3(1928)年4月 天理中等学校開校(私立天理青年訓練所中等夜学部を廃止、正規の夜間中学として出発)

昭和10(1935)年4月 天理第二中学校開校(天理中学校志願者の急増のため。のち新制天理中学校に統合)

昭和16(1941)年9月 財団法人天理教いちれつ会に修徳女学校(昭和14年開校)が移管、「天理夜間女学校」に改称

昭和18(1943)年4月 天理中学校に天理中等学校が統合改組し、天理中学校昼の課程を第一部、夜の課程を第二部とする

昭和19(1944)年4月 天理高等女学校に天理夜間女学校が統合改組し、天理高等女学校昼の課程を第一部、夜の課程を第二部とする

昭和22(1947)年4月 新制天理中学校発足

昭和23(1948)年4月 新制天理高等学校<第1部・第2部>発足