第1352回2025年9月19日配信
砂を嚙む日々(前編)
ある夏、分娩介助をした赤ちゃんが命に係わる事態に陥ると、私の身体に異変が。神様のお知らせだろうか…。
砂を噛む日々(前編)
助産師 目黒 和加子
ずいぶん前の夏のことです。私が分娩介助をした赤ちゃんが突然、命に係わる事態となりました。新生児集中治療室・NICUに救急搬送された直後から、私の身体に変化が起きます。口の中がジャリジャリして、砂を噛んでいるような感覚に陥ったのです。そのジャリジャリ感は夏が終わるまで続きました。
今回は神様に、助産師として最も厳しく鍛えられたお話です。
担当したのは予定日を10日過ぎた上野由美さん。超音波検査で羊水が急に減少し、胎児の推定体重まで減っていることが判りました。これは胎盤の働きが衰え、子宮内環境が悪化している証拠です。急遽、促進剤を使って分娩誘発することになりました。
薬で陣痛がついてくると順調に進行し、分娩室に入りました。産まれてくる赤ちゃんは女の子で、空(そら)ちゃんと名前がついています。
胎児心拍は時々低下しますが、回復は速やかで午後2時、出産。軽いチアノーゼがありますが、空ちゃんは活発に泣き、元気に手足を動かしています。全身を観察すると、口の中に血液を認めました。産道を通過する際、分娩に伴って出血したお母さんの血液を飲んだようです。これは時々あることで問題にはなりません。
しかし、口の中の血液をチューブで吸引した時、「サラサラした血やなぁ」と一瞬、違和感を持ちました。母体から出た血液は粘り気があり、トロっとしているのが特徴です。この違和感が後になって命に係わることになるのですが、この時、私はまだ気づいていません。
空ちゃんの肌は、ほぼピンク色になり問題があるようには見えません。ただ手先、足先のチアノーゼが残るので、酸素飽和度をモニタリングすると90%。保育器に入れ、酸素を与えると94%まで上昇しました。
「よかった、上がってきた。すぐに正常値の95%になるわ」と安心した途端、急に呼吸が速く浅くなり、一気にチアノーゼが全身に拡大。酸素の投与量を増やしても酸素飽和度は上昇するどころか下降し始め、院長を呼んだ時にはなんと、64%まで低下したのです。
「64%!ありえない!」と叫ぶ院長。空ちゃんの容態は急変、保育器ごと救急車に乗せ、NICUへ緊急搬送となりました。
しばらくして、疲れた顔の院長が戻ってきました。
「新生児内科のドクター総出で救命処置をして下さっているんだが…。部長先生からは『肺出血による肺高血圧症候群と思われます。満期で産まれた赤ちゃんに起こるのは稀です。今後、24時間がヤマです。全力を尽くしますが、かなり厳しい。覚悟してください』と言われた…」がっくり肩を落としています。
出生直後、口腔内にあった血液は産道の母体血を飲んだのではなく、空ちゃんの肺から出血したものだったのです。
「吸引をした時、『サラサラした血やなぁ』と一瞬思ったのに。あの時に気づいていれば、これほどの重症になる前に搬送できたのに…」
空ちゃんに申し訳なくて、自分を責めました。午後5時、長かった日勤が終わりました。
「こうなったら神さんしかない!」
家に帰るやいなや、二日前に出た手つかずの給与を所属教会に送りました。教会ではお願いづとめにかかってくださり、大阪の実家では母が空ちゃんのたすかりを祈ってくれました。
24時間が過ぎ、空ちゃんの命はつながっていましたが、担当医からは「気が抜けない状態は変わらず、72時間を目処としてヤマが続きます」とのこと。
「やっぱり神さんしかない!」
家中のお金をかき集め、再びお供えの用意をしていると、主人が「僕の給与もお供えさせてもらおうね」と言ってくれました。
その当時、主人は天理教のことをほとんど知らなかったのですが、私の様子を見るに見かねて、なんとか力になってあげたいと思ったようです。見よう見まねで一緒におつとめをし、夫婦で空ちゃんのたすかりを祈りました。
72時間が過ぎると、空ちゃんの容態が安定してきました。担当医から「命の心配はしなくてもいい状態になりました。しかし、重症の低酸素状態が長かったので、脳のダメージは大きいでしょう。後日、MRIで確認します」と連絡が入りました。
院長は「酸素飽和度が64%まで低下したんやから、脳の障害は避けられないな」と暗い顔でつぶやき、私も覚悟を決めました。
それから数週間後、新生児内科の部長から興奮した声で電話があり、「MRIで低酸素性脳障害は認められませんでした。後遺症が出るかもしれないので3歳までは経過を見ますが、あんなに重症だったのに不思議ですね。脳出血を覚悟していたのですが、脳内はクリアで驚いています。数日中に退院しますのでご安心ください」と言うのです。
しばらくして、空ちゃんはNICUを退院。上野さんはその足で空ちゃんを連れて医院に来て下さいました。ミルクの飲みも良く体重も増え、あの時のことが嘘のように元気いっぱい。
私は空ちゃんを抱きしめ、「強い子や。偉い子やなぁ」と命の重みを噛みしめました。この子の頑張りと、泊まり込みで治療にあたって下さったNICUのドクター、ナース、そして神様への感謝の思いがこみ上げ、泣けて、泣けて。
その日から、夏の暑さを感じる余裕もなく、重い荷物を背負ったまま、祈り、願う日々。何を食べても砂を噛んでいるようで、丸々とした空ちゃんとは逆に頬はこけ、げっそり痩せていました。
早速、神様にお礼を申し上げようと天理に向かったのですが、「空ちゃんの命がたすかってよかった、有り難い、だけではないような…。口の中がジャリジャリするのも続いてるし…。神さん、私に言いたいことがあるんとちゃうかなぁ」と、心がざわざわするのです。
思案を巡らせつつ天理駅に到着。モヤモヤしたまま神殿に向かって商店街を歩いていると、壁に貼ってある「天理看護学院助産学科」のポスターが目に留まりました。そのポスターの前でこの度のことをクールに振り返っていたその時、電気が走ったように「ハッ!」と気づいたのです。
リスナーの皆さん、私は何に気づいたのでしょう。続きは来週の後編で。
人の目と神様の目
私たちは普段、とかく人の目を気にし、世間体を気にしながら日々行動しています。それはある意味、社会常識としては当然のことのようにも思います。しかし、そこから一歩進んで人として成人を遂げるには、「人の目」と共に「神様の目」があることを知らなければなりません。
お言葉に、
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし (八 51)
とあります。
この世界と人間をお創り下された親神様は、世界中の隅々に至るまでを隈なく見渡し、さらには私たち一人ひとりの心の内までご覧下さっています。そして、いつでも私たちが考えているさらにその一歩先まで成人することを、ご期待下さっています。
親神様の目を意識できるようになると、人の見ていない所での行動が変わります。たとえば、公共のトイレを使った後、次の人が使いやすいようにさりげなくきれいにしたり、外食をして食べ終わった後に、テーブルをそっと拭いたり。それは決して人からの評価にはつながりませんが、親神様は大きく評価をして下さいます。いわゆる「徳」を積むという行いです。
教祖・中山みき様は、山中こいそさんというご婦人に、「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな」と仰せになりました。こいそさんは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます」とお答え申し上げました。(教祖伝逸話篇63「目に見えん徳」)
このこいそさんの返事に対する教祖のお言葉は残されていません。しかし、これ以上の答えはないのではないでしょうか。目に見えない徳を積むことで、我が身思案を捨てた人だすけの精神は益々高まっていくことでしょう。
なにもかも月日しはいをするからハ
をふきちいさいゆうでないぞや (七 14)
親神様がすべてをお計らい下さり、お見守り下さっている。日頃からそう意識できれば、何事も形の大小にこだわらず、人の目先の評価にも一喜一憂することなく、親神様の思いに近づくことが出来るのではないでしょうか。
(終)