第1304回2024年10月18日配信
神様の大作戦(中編)
看護師になって間もなく、病気で勤務先をクビに。体も心もどん底のままおぢばに向かう途中、人の自死に遭遇する。
神様の大作戦(中編)
助産師 目黒 和加子
気温30℃を超える7月の真夏日、神様に文句を言おうと自宅を出ました。京阪電車の萱島駅に着き、4番線に止まっている準急に乗り込むと、「3番線を特急が通過します。しばらくお待ちください」と、車内アナウンスが聞こえてきました。
〝もし脳炎になったら、特急に飛び込んで死のう〟そんなことを考えながら3番線を眺めていると、目に入ったのは青いジャンパーを着た男性。すると、その男性は突然走り出し、特急に飛び込んだのです。特急電車は金属音を立てて急停車。
人の死を間近で目撃し、頭を金槌で殴られたような衝撃が走りました。
〝神様に見せられた! 私がしようとしたことは、どういうことなのか見なければいけない〟
急いで準急から降り、3番線側に向かうと何かにつまずきました。それは、男性の腕の一部でした。ちぎれた青いジャンパーに親指だけがついていました。周囲を見回すと足首、頭の一部、肉片が飛び散り、見るも無残な状態。
〝あかん! こんなことしたら絶対あかん。こんな姿、親に見せられへん…。じゃあ、どうしたらええの? どう生きればいいのよ!〟
頭の中が混乱したまま、おぢばに到着。神殿に駆け上がり、賽銭箱にお供えを思いっきり投げつけて、「神様、看護師になってこれからという時に何でですか! 全然喜べません! でも、なにか意味があるんですよね? 人間の親やったら、その意味を教えてください!」
かんろだいを睨みつけ、怒りをぶつけました。それでも怒りは収まらず、阿修羅のような形相で回廊を歩いていると、鼻からドッと出血し、マスクは血だらけ。すれ違う人はギョッとした顔で固まっています。
教祖の御前に座ると、涙がこぼれてきました。当たり前のことですが〝人間は必ず死ぬ。人生には限りがある〟と痛感したのです。
そして、今、この病気で出直すとしたら何を後悔するか思案を巡らせると、真っ先に心に浮かんだのは、看護学校の実習で見学したお産の現場でした。
「お産ってスゴイ! 助産師さんってスゴイ! 素晴らしい仕事や!」と心が震えました。担任の先生に「助産師を目指したら?」と勧められましたが、これほど責任の重い仕事は無理だと諦めていたのです。
しかし、死がちらつく重い病気になり、考えが変わりました。今世で後悔を残さないためにどうすればいいのか。私は教祖に、「このままでは終われません。助産師になってからでないと死ねない。何としてでも助産師になってみせます!」と言い放ったのです。
神様に向かってなんとまあ、高慢ちきなことですよね。でもこれは、真っ直ぐで気の強い、私の性格を見抜いていた親神様と教祖の巧妙な作戦だったのです。もちろん、この時はまったく気づいていません。
鼻から血を流しながらおぢばに帰った翌日、西宮市にある所属教会に行きました。死を意識し、「今世最後の参拝になるかも…」と覚悟を決め、貯金を全部お供えしました。若い頃からお世話になっている親奥さんに病気のことを話すと、おさづけを取り次いでくださいました。
そして、「明日は上級の中央大教会の月次祭よ。このお供えを今すぐ速達で送ると祭典に間に合うから」と、郵便局に連れて行かれました。
暗い気持ちで座っていると、親奥さんが「和加ちゃん、神様がたすけてくださるから大丈夫よ」と笑顔で言うのです。〝なんで大丈夫と言い切れるんやろう?〟疑問に思いながら郵便局を後にしたのですが、ここから運命の歯車が動き出すのです。
教会からの帰り、クビになった病院に置いてある私物を取りに行きました。ナースステーションの入り口で、「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げましたが、誰も仕事の手を止めてくれません。
この病院では、中途退職者が出ても年度が変わる4月までは欠員補充がありません。〝あなたが辞めたせいで、来年の3月末まで大変な思いをしないといけないのよ〟という雰囲気が漂っていました。退職の理由が病気であってもです。看護部長室にも伺いましたが、会ってもいただけません。
惨めな気持ちで通用口を出ると、「みかぐらうた」が聞こえてきました。病院の隣りは天理教の教会なのです。おうたが心に沁み、泣けてきました。涙が鼻腔へ流れ、手術の傷跡がジンジン痛みます。
「崖っぷちやけど、まだ生かしてもらってる」と自分に言い聞かせ、駅への道をとぼとぼ歩きました。
病院からの帰り、大学病院を紹介してくださった内田耳鼻科に退院したことを伝えに行きました。
院長の内田先生に、大学病院でヤミックが失敗し、ひどい蝶形骨洞炎になったこと。骨も溶け、脳炎になる可能性があること。仕事を辞めたこと。人生は一度しかないと痛感し、助産師を目指そうと思っていることなどを伝えると、
「あんた、うちに勤めなさい。ここは耳鼻科やから、いつでも診てあげられる。そうしなさい。来週からおいで。」
なんと、私を雇ってくださるというのです。
〝ありがたいけど、看護師の募集をしてないのに、ご迷惑になるんとちゃうかな〟と戸惑っていると、それを察した先生は、「ワシ、3年前に胃がんの手術した時に色々あってな。あんたの気持ち、ようわかるんや。来年の3月までということで、どや!」
これまた、よく分からないまま内田耳鼻科に勤務することになったのです。
これは一体何なんでしょう? 一方ではクビになり、もう一方では雇ってくださる。「捨てる神あれば拾う神あり」とでもいうのでしょうか。しかも職場が耳鼻科というのは、退院後も経過観察が必要な私にとって最高の環境です。
急降下に急上昇、まるでジェットコースターに乗っているよう…。この日を境に、自分の考えや意志以外のところで、物事が動き始めたのです。
内田耳鼻科で診てもらいながら、3月末まで働かせていただき、4月から助産師になるための第一歩として産科専門の石田病院に転職しました。
石田病院はこの地域で最も分娩件数が多く、入職して3カ月が経っても、いっぱいいっぱいの毎日。忙しすぎて助産師学校へ進学する気力を失いかけていた頃、神様が練った作戦に気づきかけた出来事がありました。
お産の終わった分娩室で片付けをしていると、ベテラン助産師の大石さんが分娩セットの中から一個のハサミを取り出しました。
「このハサミは臍帯剪刀といって、へその緒を切る専用のハサミよ。へその緒は、ところてんみたいにツルツルしてるから、集中して切るためにわざと切れ味を鈍くしてあるの。先端だけを使って2、3回で切断するの。刃先が丸くて上に反っているのは、へその緒を切る時に赤ちゃんのお腹の皮膚を傷つけないようにするため。助産師だけが使う特別なハサミよ。ほら、よく見てごらん」
手渡された臍帯剪刀を見て、ハッと思い出したことがあります。
私がおさづけの理を拝戴したのは、昭和57年7月17日、17歳の時。拝戴直後、教祖殿で待っていた所属教会の間瀬弘行 前会長さんが、「和加ちゃんは、数字の〝7〟に縁があるなあ。7というのは『たいしょく天さん』のお働きで〝切る〟ということや。上手に切ることも神様の大切なお働きやで。だから、将来はハサミを使う仕事をしなさい」
高校生だった私は、素直に「はい」とうなずきました。
〝そうや、あの時、前会長さんの言わはったハサミって、この臍帯剪刀のことや!〟
さらに、壁に掛けてあるカレンダーを見て息をのみました。
「今日って、あの日と同じ7月17日やんか!」
怒涛の展開はまだまだ続きます。来週の後編をお楽しみに!
「ひのきしん」で胸の掃除を
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (三 52)
と記され、陽気ぐらしへ向けた各自の胸の掃除は、神様の教えを箒としてなされるのだとお諭しくださいます。その第一の方法として教えられるのが、生かされていることへの報恩感謝の行いである「ひのきしん」です。
教祖は「みかぐらうた」の中の、特に十一下り目において、ひのきしんについて詳しく教えられています。
ふうふそろうてひのきしん
これがだいゝちものだねや
よくをわすれてひのきしん
これがだいゝちこえとなる
いつ/\までもつちもちや
まだあるならバわしもゆこ
むりにとめるやないほどに
こゝろあるならたれなりと
ひのきしんは、夫婦の心を揃えて行うところに始まり、その姿が周囲の人々に映っていくということ。そして、ひのきしんは利益を目的にするものではなく、あくまで「欲を忘れて」行うものであり、それが陽気ぐらしへ近づく歩みになるということ。
また、ひのきしんは、いついつまでも、どこまでも自ら追い求めて行うことが大切であり、その心意気があるならば、無理に止め立てはしないと仰せられています。
夫婦を台として、人々が心を合わせ、いそいそと一手一つにひのきしんをする姿こそ、陽気ぐらしの縮図であり、各自が胸の掃除を成している姿と言えるでしょう。
(終)