(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1273回

言えないSOS

思いやりの強さは人一倍の三男。たとえ弁当に箸が入っていなくても、妻を責めることなく、静かに涙を流すだけだ。

言えないSOS

 岡山県在住  山﨑 石根

 

小学五年生になる三男は、どちらかと言えば不器用で、いわゆる天然キャラです。言い間違いや聞き間違いが多いので、しばしば私たち家族に笑いを届けてくれたり、反対に怒られてしまうこともよくあります。でも思いやりの強さは人一倍で、学校の先生から「友達にとても優しいんです」と褒めて頂くことが、本当によくあるんです。

昨年12月のある日のことでした。その日は小学校の社会科見学の日で、三男も朝から妻の手作り弁当を持参して登校しました。ところが、夕方下校してきた彼はどこか元気がなく、なかなか宿題をしようとしません。私が声をかけても無反応で、おもむろに立ち上がると妻のいる台所に向かいました。

その様子にどこか腑に落ちないでいると、ほどなくして妻が「やらかしてしまったわぁ」と言いながらやって来ました。聞くと、三男が持って行ったお弁当箱の中に、お箸が入っていなかったと言うのです。

台所にいる妻の所に一目散にやってきた彼は、何も言わずに妻に抱きつき、「お母ちゃん、箸がなかった…」と呟いた後、静かに涙を流しました。

「え~っ、ごめん!」と、驚いた妻がすぐに謝ると、彼は「でも、お腹が空いてなかったから、友達に食べてもらった」と。切なくて、何だか泣けてきた妻は、何度も彼に謝ったのですが、「だって、お腹が空いてなかったんじゃもん」と繰り返し答えたといいます。

さて、おばあちゃんが作ってくれたその日の夕食は、偶然にも三男の大好物のオムレツでした。昼食を食べていないので、相当お腹が空いているだろうと心配した妻は、「ごめんね」の気持ちも込めて、自分のオムレツを半分、他の兄弟に分からないように分けてあげていました。すると彼は、ご飯をなんと3杯もおかわりしました。

夜になって、たまたま私たち夫婦と三男だけになるタイミングがあったので、私はここぞとばかりに今日あった出来事を尋ねました。

「お母ちゃんから聞いたで。何でととに言うてくれへんかったんよ~?」

すると妻が横から、「お母ちゃんを悪者にしたくなかったんやなあ。だって、台所に言いに来た時も、料理しているおばあちゃんにバレないように、こっそり泣いてたんやもん」と、彼がかばってくれた様子を私に説明してくれました。

この辺りは、ある意味三男の男気を感じます。私はさらに、「でも、ずっとお腹空いてたやろう?」と尋ねたのですが、「だから、お腹空いてなかったんだってば!」とやっぱり答えるので、「嘘つけ、晩ご飯3杯もおかわりしとったやないか」と、笑いながら夫婦でツッコみました。

「で、お箸がないのに気づいた時、どんな気持ちやったん?」と、今度は彼の心持ちについて尋ねてみました。

「ふたを開けて、わぁ、おいしそうなお弁当!って思ったけど箸がなくて、どこかに落としたんかなぁ、と思って色々探したけどなかったから、これはお母ちゃんが忘れたんじゃと思った。だから、お母ちゃんを怒ってやろうと思ったけど、怒れんかった…」

そう照れながら話す彼の様子に、私たち夫婦は益々切なくなりました。

「そういう時は、友達や先生に『お箸がない』って言ったらいいやんか」と私が諭すように伝えると、「そんなんしたら、みんなに気ぃ使われるがぁ。恥ずかしいもん」と思いがけない返答です。

あぁ、これがこの子の持っている優しさであり、長所なんだろうなぁ、と感じたのですが、その反面、私には思うところがありました。

私は日頃、頂いている立場から依存症や不登校について相談を受けることがあります。殊に依存症の支援に関する講演でお話をする時に、大切なポイントとして伝えているのが、「『たすけて』と言える人になりましょう」という点です。

人間が自立をするということは、何もかも一人で出来るようになることではなく、適切に人を頼ったり、困った時に人にたすけを求められるようになること。これが実はとても大切なポイントなのです。

私が出会う依存症の問題で困っている人たちは、当事者はもちろん、その家族も周囲にSOSを出すのが不得手な人が多く、そのために事態が悪化しているケースが多いのです。昔から「人様に迷惑をかけないように」という言葉が、子育てにおいて常套句のように使われますが、実際には人のお世話にならずに生きていくなんて、非現実的な話です。

そこで私は、三男に次のような話をしました。

「天理教の親神様の教えは、『互い立て合いたすけ合い』なんやで。だから、誰かが困っている時にたすけることはもちろん大切だけど、自分が困った時には、誰かにたすけてもらうことも悪いことではないんやで。『たすけ、たすけられ』という関係を親神様はいちばんお喜びになる。そうしてたすけ合って、人間は陽気ぐらしを目指す。そういう教えなんやで」

その上であらためて、「じゃあ、次からどうしたらいいかな?」と尋ねると、「次からは困らんように、リュックサックに割りばし入れとく」と答えた彼に、思わずズッコケながら大爆笑してしまいました。

「なるほど、それもいいアイデアやけど、でもな、『たすけて』ってホントに言っていいんやで」と、大事なことだと思ったので、私は少ししつこく伝えたのでした。

時に、家族にさえSOSを出せない人にも出会います。でも、神様は「一れつきょうだい」だと教えてくださるので、誰かに「たすけて」と言うだけで、何かが動き出すような気がするのです。

「あなたは決して一人ではない!」私が大切にしているテーマです。

 


 

おいしいと言うて

 

天理教教祖・中山みき様。私たちは「おやさま」とお慕いしているのですが、教祖の住まわれるお屋敷は、奈良盆地の東の山すそにありました。お屋敷の周りには、布留川という、かつては万葉集にも詠まれた川が、幾筋にも分かれ流れていました。

川は生活の源、豊富な食料を供給してくれます。明治の初め頃は、夏になると雑魚取りをしに、子どもどころか大人までもがザブザブと川に入るのが日常だったようで、そんな光景が教祖をめぐる逸話として残されています。

川にはドジョウ、モロコや小ブナなどの小魚、川エビもいました。当時の貴重なたんぱく源です。お屋敷でつとめている者たちが、それらをすくい上げ、こってり煮込んでうま煮にして、教祖のお目にかけます。

すると教祖は、その出来上がったものを取り出され、子どもに言って聞かせるように、

「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや」

と仰せられ、また側にいる者たちには、

「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ」

とお話しになりました。(教祖伝逸話篇132「おいしいというて」)

教祖のお言葉には、命あるものへの慈しみがこもっています。生き物の命を頂くことへの感謝の気持ちを忘れないように。そう私たちにお諭しくだされています。そして、その感謝は生き物に対するだけにとどまらず、それらの命を育む火・水・風をはじめとする天の恵みにも及びます。

また、生き物に対する「今度は出世しておいでや」とのお言葉には、すべての生きとし生けるものは親神様によって生み出されたのであり、人間も含めたそれらは皆、命の源を共にするきょうだいである。そのような意味が含まれているのではないでしょうか。

「この世は神の身体である」と教えられるように、人間を含むすべての生き物は、親神様の身体の一部であり、お互いはつながり合って生きています。親神様のお働きによって育てて頂いた食材を粗末にせず、好き嫌いなく、慎んで頂くことが大切でしょう。そして、「おいしい、おいしい」と笑顔で食べられる喜びを、周囲の人と共に分かち合いたいものです。

(終)

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