(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1256回

心臓でドキドキ

中学生の長女の心臓に異常が見つかった。神様のご守護の有り難さにあらためて気づかされた出来事であった。

くにさづちのみこと

 

神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。

教えでは、この神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、そのうちの「くにさづちのみこと」については、「人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理」と教えられています。

私たちは、神様のご守護を頂く筋道について、この説き分けから思案し、日々の暮らしの中に生かすことが大切です。今回は、つなぎのご守護の一つであるお金、金銭の事情について考えてみたいと思います。

お金は、物と物を交換する仲立ちの役割をします。それは同時に、人と物を結びつけることであり、結果的に人と人をつなぐ働きもしています。ですから、金銭にまつわる事情が起きた場合、このご守護の理に照らして、何か人間関係で「つながり」を欠いてしまっていることはないか、自身の通り方を反省しなければなりません。

例えば、ある家庭で息子さんが借金をしてしまった。ところが、隠れてするものだから親は知らない。別のケースでは、旦那さんが借金を抱えていることを、奥さんが知らないという場合もあるでしょう。やがて家族中が知る頃には、どうにもならない段階にまで膨らんでしまっている。

もし、普段から家族お互い心をつなぐことを意識し、打ち解けて話すということがありさえすれば、ここまでの事態には陥らずに済んだかも知れません。このような困った金銭事情の背後には、多くの場合、心のつながりを欠いてしまっている姿、人間関係の希薄さが潜んでいるのです。

物事は、何によらず単独で成り立つものではありません。まず身近な関係である夫婦、親子の営みの中で、心をつなぎ、言葉でつなぐことを意識できれば、それが地域や仲間同士のたすけ合いにつながり、ひいては陽気ぐらしへとつながっていくのではないでしょうか。

 


 

心臓でドキドキ

岡山県在住  山﨑 石根

 

「心臓は1日に10万回も動いているんだよ!僕たちが起きている時はもちろん、寝ている間も休むことなく、親神様がお働き下さっているんだよ!」

私は大勢の子どもたちの前で、いつにも増して一言ひとことに心を込めて、神様のご守護についてお話をさせて頂いていました。

今年の夏、四年ぶりに奈良県天理市にある天理教教会本部で、「こどもおぢばがえり」というビッグイベントが開催されました。世界中から子どもたちが集まって、たくさんの楽しい行事に参加するのですが、その行事の一つに「おやさとやかた講話」があります。ここでは、子どもたちが30分ほど神様のお話にふれるのですが、私は今年、そこでお話を取り次ぐ係を務めていました。

心臓が動く、息ができる、目が見える、耳が聞こえる、言葉が話せる、手で物をつかみ、足を使って歩くことができる。これらは決して当たり前のことではなく、親神様のご守護を頂戴しているからこそ、身体を元気に使わせて頂ける。私はその基本的な教えを、紙芝居と例え話を用いながら、子どもたちにも分かるように精いっぱい伝えました。

その中でも、心臓が動くことに関しては深く感じることがありました。なぜなら今年の春、中学に入学した長女が、心臓に雑音が聞こえて再検査をするという出来事があったからです。

娘の心臓に異常が見られたのは、今回が初めてではありませんでした。彼女が小学校に入学した頃も、心臓に雑音が混じっているとのことで、かかりつけ医に相談したり、地元の大きな病院で心電図や超音波の検査を受けたりしたことがありました。

その時は、「確かに極々小さな雑音が聞こえますが、今のところは問題ありません」とのことでしたが、カーテンを閉めた真っ暗な部屋で検査をしたため、まだ幼かった彼女は大泣きして、なかなか検査が出来なかったことをよく覚えています。

そして今回、中学入学後に行われた健康診断で、やはり異常が見られるということで、もう一度かかりつけ医に相談しました。6年前にも相談した経緯があったので、「今回はとことん調べてもらおう」ということになり、紹介状を書いてもらい、夏休みに岡山市にある心臓専門の大きな病院で検査を受けることになったのです。

前述の通り、私は天理で神様のお話をする係に当たっていたので、娘の受診には妻に付き添ってもらいました。検査当日、私もドキドキしていましたが、きっと本人が一番心配だったと思います。時間をかけて検査をしてもらった結果、「機能性心雑音」と診断され、問題のない雑音だと説明を受けたようです。

妻と娘から連絡を受けた私は、ホッと胸をなでおろしました。そもそも、かかりつけ医からも「きっと大丈夫ですよ。念のために受診しましょうね」と送り出して頂いた今回の検査ですが、お医者さんに大丈夫と言われても、ドキドキする理由が私たちにはありました。

実は私の妻も、小学生の頃、「肺動脈弁狭窄症」という心臓の病気が見つかり、天理市の「天理よろづ相談所病院」でカテーテル検査を受けたことがありました。当時、手術こそ免れたようですが、その後も経過観察が必要とのことで、その時のレントゲン写真をずっと大切に保管していました。なので、17年前、天理で第一子を出産する時には、お医者さんにも相談しながら、慎重にお産に臨んだのでした。

また、第二子以降は、地元岡山での出産となったのですが、初めてかかる産婦人科にも心臓の既往歴を伝え、やはり慎重にお産に臨みました。私も祈るようにしながら、出産に立ち会ったことを覚えています。

ところが、本当に神様の大きなご守護で、二人目もまったく心配のない順調な出産となり、気がつくと5人の子どもに恵まれました。恥ずかしながら、5番目の頃にはそれほど心配していなかったように思います。いま振り返ってみても、本当に大きなご守護を頂戴していたんだなあと、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。

天理教の教えの基本は、何よりも神様のご守護に対する報恩感謝の心と実践です。身の内に頂く大きなご守護に、「これもありがたい」「あれもありがたい」と毎日感謝が出来れば良いのですが、どうしてもそれを邪魔する人間思案があります。

それは「そんなこと当たり前だ」という考え方です。

〝有り難い〟の反対語は〝当たり前〟だと言われますが、「そんなこと当たり前だ」と思った瞬間に、有ることが難しいと書く〝有り難い〟という気持ちが、どこか遠くに離れて行ってしまうような気がします。

この夏、お話を通して子どもたちに感謝の気持ちの大切さを伝える前に、神様は娘の再検査を通して、私自身がしっかり感謝できているかを反省する機会を与えてくださったのではないかと、そんな気がしました。

「この世の中に〝当たり前〟のことは何一つなく、全てが〝有り難い〟神様のお働きなんだよ」

この夏に出会った全国の子どもたちの、誰か一人にでもこの大切な御教えが心に残っていることを願います。親神様、今日も元気な身体をお貸し頂き、ありがとうございます。

(終)

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