(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1255回

見えていない幸せ

長年引きこもっていた青年が修養科を終え、教会で生活することに。彼は家族で食卓を囲んだ記憶が全くなかった。

無条件の喜び

 

  このよのぢいとてんとをかたどりて
  ふうふをこしらへきたるでな
  これハこのよのはじめだし

 

元なる神様、親神様は、この世の大地と天を象って夫婦をこしらえて今日に至った。これはこの世界の創め出しの真実であると教えられます。

女性はあらゆるものを受け入れ、育てる母胎となる「大地」の役割、男性は広々とした心で万物をおおう「天」の役割を果たすべき者として組み合わされます。そうして夫婦となった双方がこの役割を果たすことによって、子どもは健やかに育っていきます。

しかし、私たち人間の心は常に変わりやすく、昨日の心は必ずしも今日の心ではありません。かつて二人を結び付けた強い絆も、徐々にもろくなっていくこともあるでしょう。

そこで親神様は、「ふたりのこゝろををさめいよ なにかのことをもあらわれる」と示され、夫婦の心をしっかり一つに治めていくところに、何かにつけてよい姿が表れてくると教えてくださるのです。

思うに親神様は、人間を夫婦として守護することにより、人を愛する喜び、たすけ合う喜びを味わわせてくださる。また、親子として守護することにより、親には無条件に子どもを愛する喜びを、そして子どもには、無条件に親を信じることの喜びを味わわせてくださるのです。

これら夫婦、親子の関係は、自分さえ良ければというわが身思案を克服する要素を含んでいます。それまで、いかに気ままで自分勝手な生活をしていても、夫婦となり親となれば、子どもの世話をするために夜も眠らず、我が身の生活を切り詰めてでも子どもに物を買い与えます。そして、子どもの成長を何より願い、その姿を見て共に喜びます。その純粋な心は、まさしく私たち人類の親である親神様のお心に通じるのです。

 

お言葉に、

  にんけんもこ共かわいであろをがな
  それをふもをてしやんしてくれ (「おふでさき」十四34)

  にち/\にをやのしやんとゆうものわ
  たすけるもよふばかりをもてる  (十四35)

 

とあるように、親となり、子どもに心を掛けて歩むうちに、親神様のお心の一端を我が事として感じられるようになるのです。

そうして親神様の親心に思いを馳せる時、ややもすると狭い我が家だけにとどまりがちな愛情の範囲は次第に広がり、いちれつきょうだいへとつながる道筋が見えてくるのです。

 


 

見えていない幸せ

大阪府在住  山本 達則

 

私は以前、ある一人の青年と出会いました。その青年は現在24歳。幼少の頃から父親の厳しいしつけにあい、そのせいで徐々に自分自身を失い、中学に入る頃から「引きこもり」になりました。

外出はおろか家族との接触すら避け、ひたすら自室にこもり続け、食事は母親が部屋の前に運び、トイレや入浴は家族が寝静まってから、という生活を続けていました。

その頃、私は彼の家族と知り合い、その状況を聞いて、彼に会いに行くことにしました。彼との接触は簡単なことではありませんでしたが、それでも通い続け、天理教の修養科を志願してくれるまでに、こぎつけることができました。

そこにたどり着くまでには、ご両親や周りの方の、言葉では言い尽くせないご苦労があったことは言うまでもありません。そして、何より彼自身が「この状態から抜け出したい」という強い意志を持ち続けたことが、状況を好転させたのです。

修養科は、天理での三ヶ月間の合宿生活です。始まる前、専門の医師からは、「一週間から十日間続けばよし、と考えて送り出してあげてください」と言われました。ところが、彼は一週間経っても、一ヶ月たっても「やめたい」と一度も言うことなく、それどころか日に日に表情に明るさが出てきました。

いよいよ修了が間近に迫った頃、「修養科を出た後、僕はどうしたらいいですか?」と彼が聞いてきました。そして、「自宅にはまだ帰りたくないんです。以前の生活に戻ってしまいそうで」と真剣に訴えてきます。

私が思い切って、「それなら、教会に住んでみるか?」と提案すると、彼は「いいんですか?」と満面の笑顔で答え、一緒に教会で生活することになりました。

修養科を修了したとは言え、長年引きこもっていた彼にとって、社会に溶け込んでいくのは容易なことではありませんでした。それでも「働きたい」という彼の意思を大切にしようと、最初は人との接触が少ない工場でのラインの仕事を紹介しました。そして半年が過ぎ、次はもう少し人との接触がある仕事がしたいと、コンビニでアルバイトを始め、接客もできるようになりました。

しかし、日常生活では過去の出来事に引きずられることも多く、私自身が理解してあげることのできない行動も多々ありました。

そんなある日、彼に「今、いちばん何がしたい?」と尋ねてみました。その時の答えに、私は衝撃を受けました。彼は「家族で食事がしたい」と言ったのです。私はてっきり、大学に行きたいとか、正社員として働きたいとか、海外旅行をしてみたいとか、そんな答えを想像していました。

彼は両親と妹の四人家族ですが、家族で食卓を囲み、楽しく食事をした記憶がまったくないのです。一方、我が家では毎日、子どもや里子たちと当たり前のように賑やかに談笑したり、時にはけんかもしながら食事をしています。彼にとっては、その姿がうらやまくして仕方がなかったのでしょう。

彼の一番したいことは、まだ実現できていません。しかし、その実現に近づく努力を、彼は地道に続けています。

彼との出会いによって、私自身も家族の者たちも、日常の中に幸せを感じる場面が多くなったような気がします。私たちが家族で食卓を囲んで食事をすることに、どれほど幸せを感じていたのかと問われれば、それはすでに「当たり前」の姿でした。その当たり前の姿の中に、実はとんでもない「幸せ」が隠されていたのです。

思い通りの学校に入る、思い通りの就職ができる、思い通りの人と出会い、家族をつくる…。それらも、幸せなことであるのは間違いないと思います。しかし、実は、幸せはそれ以外の見えていないところにも沢山あって、それは余程しっかり目を凝らして見ないと、見つけることができないのかも知れません。

その見えにくい幸せを見つけるために、天理教教祖である「おやさま」は、「人をたすける」ことを教えてくださいました。

お年寄りに席を譲ることで、今の自分自身の健康を再確認することができる。家族の不和に悩んでいる方に寄り添うことができれば、当たり前の家族の日常を、より有り難いものに感じることができる。そうした中で、今まで見えていなかった喜びや感謝が浮き彫りになって、見えてくるのではないかと思います。

いま感じている嬉しいことや楽しいことの裏に、もっともっと沢山の嬉しいこと、楽しいことがある。そして、それはいちばん身近な家族との間にも、まだまだ沢山あるのだと、彼と出会って気づくことができたのです。

(終)

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