(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1189回

今がイチバン!

長男が春から天理の高校で寮生活を始めた。この先も下の子たちが次々に家を出ていくと思うと、寂しさが募るが…。

今がイチバン!

 岡山県在住  山﨑 石根

「はぁ。今が一番幸せやわぁ」

二、三年前からの私の口癖ですが、妻は決まって「ホンマやねぇ」と、いつも変わらず答えてくれていました。

あたかも、この先に不幸せが待っているかのようなセリフですが、私にはそう思わせられる理由がありました。

私と妻は天理の高校出身で、私の両親も同じく天理の高校を卒業しています。特に決まり事ではないのですが、天理教の教会子弟が天理の高校に進学し、それぞれの地元を離れて寮生活を送るというのは、よくある話なのです。

我が家の長男も、小学生の頃から「天理の高校に行きたい」と言い始め、弟や妹たちも同じように今から行くつもりになっています。となると、五人の子どもたちとの賑やかな生活も、いつかは一人減り、二人減り、だんだん寂しくなっていく。「兄弟そろって」「家族そろって」にはタイムリミットがあるのだから、「今この瞬間」の幸せをかみしめようという気持ちが、ここ数年で強くなっていったように思います。

そして、ついにこの春、長男が希望通り、天理の高校に進学することになりました。

昔から「可愛い子には旅をさせよ」と言われます。私たち夫婦も両親も、高校から親元を離れているので、その厳しさも去ることながら、何にも代えがたい経験ができるという良い面も、よく理解しているつもりです。とは言え、やはり心配で仕方がありません。

長男はこれまで、自然に囲まれた平和な環境で、友達にも恵まれ、すくすくと育ってくれたように思います。心配する私たち夫婦を、父は「いつまでも無菌状態じゃあかんからなあ。世の中の荒波に揉まれな強くならんで」と励ましてくれますが、そういう父が一番寂しそうだったりするのです。

中学校の卒業式が終わり、春休みに入ると、入学や入寮の準備に追われ、てんやわんやになりながら、気がつくとあっという間に出発の日を迎えていました。

妻は、出発の一時間も前から涙を流していました。そんな妻が息子にかけた最後の言葉は、「向こうに行っても、何かあったら神殿に行って〝おつとめ〟するんで」でした。

「おつとめ」とは、分かりやすく言えば天理教のお祈りのことを言います。教会では、朝づとめと夕づとめが毎日勤められます。また、私の教会では午後二時にお願いづとめを勤めています。

朝夕のおつとめは、今日も健やかに生かされている感謝の気持ちや、一日のお礼の気持ちを込めて勤めます。そしてお願いづとめは、誰かの病気や困りごとが治まるように祈ります。

手前味噌な話ですが、五人の子どもたちも小さい頃から良い習慣がついていて、五人とも毎朝、毎夕欠かさず勤めてくれます。そんな姿が本当に頼もしく、何だか幸せでたまらなかったのです。

きょうだいが多いと、自然にルールや役割分担が出来てきます。おつとめの道具の片づけは誰。何曜日は誰が、おつとめのこの役割。すると、それは食後の洗い物の当番、洗濯物をたたむ当番、掃除機をかける当番と、他の役割にも展開していきました。

そうしたきょうだい揃っての微笑ましい姿が、一人抜けることでバランスが崩れるのではと心配になり、それが「揃っている今が一番幸せやなぁ」とのセリフになったのでしょう。

さてさて、長男が抜け、四人のきょうだいでの新学期がスタートしました。教会は広くても、私たち家族の生活スペースは限られています。小さい頃は家族全員で川の字で寝ていた部屋も、いつしか布団五枚に七人が寝るようになっていました。

しかし、春からは一人減りましたので、三男がようやく自分一人の布団に出世してルンルンです。もちろん一人ひとりに子ども部屋なんてありませんが、長男が受験勉強に使っていた布団部屋に次男が移動し、念願の一人で集中して勉強できる環境が整いました。

おつとめや洗い物、洗濯物当番も長女を中心にルール変更がなされ、頼もしい日常がいつもと変わらずやってきました。心配していたようなことは何も起こらず、何だか力の抜ける思いがしましたが、考えてみるとこうした当たり前の日常が、やっぱり幸せなんだと思います。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」のお言葉に、

 しやハせをよきよふにとてじうぶんに
 みについてくるこれをたのしめ(「おふでさき」二 42)

とあります。

神様は、世界中の人々みんなが幸せになるようにと、十分に心を配って下さいます。私たちがその親心をしっかり心に治め、神様の思召しにお応えできるように歩めば、幸せは身についてくると教えられています。

そうなんですよね。いつかくる不幸せがあるとしても、将来のことは誰にも分かりません。過去に起こった不幸せだって、誰にも変えることは出来ません。でも、いつでも「今」が幸せなんです。

いつも、今、この瞬間を幸せに感じられるような心でありたい。神殿で手を合わせ、おつとめをつとめながら改めてそう決心し、「長男も幸せでありますように」と、遠くから心を込め、祈りを捧げました。

そして、今日もまた、私は呟きます。

「今が一番幸せやわぁ」
「ホンマやねぇ」

 


 

神の引き寄せ

 

神様の御用に携わり、おたすけに励む者を「よふぼく」と呼んでいますが、『天理教教典』には、次のように記されています。


「親神は、一れつたすけの切なる思わくから、多くのよふぼくを引き寄せようと急き込まれる」
(第九章 よふぼく)

信仰の始まりは、神様のお引き寄せである。自分の意思で信仰を始めたと思っていても、実はそこに神様の深い思わくがあるのだと示されています。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」の、次のような逸話が残されています。


文久四年のこと。山中忠七さんの妻・そのさんは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、医者からも匙を投げられてしまいました。近所の知り合いに勧められ、忠七さんが教祖にお目通りすると、次のようなお言葉がありました。

「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わり、おまえは、神の御用を聞かんならんで」

そのさんの鮮やかなご守護を目の当たりにした忠七さんは、熱心に信仰するようになりました。(教祖伝逸話篇11「神が引き寄せた」)

 

また、明治七年、岡田与之助さんが十八才の時、腕の痛みが激しくなり、あちこちの医者に診てもらっても一向に良くならず、昼も夜も寝たきりで苦しんでいました。

かねてから教祖のうわさを聞いていた与之助さんは、この時初めてお屋敷へ帰らせて頂きました。

教祖にお目通りすると、「与之助さん、よう帰って来たなあ」とお言葉を頂くとともに、腕の痛みはピタッと治まりました。

ところが、家へ戻るとまた腕が痛みだしたので、夜の明けるのを待ちかねて、再びお屋敷へ帰らせて頂くと、不思議にも痛みは治まったのです。

こんなことが繰り返されて、三年間というものは、ほとんど毎日のようにお屋敷へ通いました。

そのうちに教祖が、「与之助さん、ここに居いや」と仰せくださったので、お屋敷に寝泊まりして、用事を手伝わせてもらうようになりました。そうしないと、腕の痛みが治まらなかったのです。

こうして与之助さんは、神様のお引き寄せにより、お屋敷の御用を勤めさせていただくようになりました。(教祖伝逸話篇40「ここに居いや」)

(終)

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