第1187回2022年7月16日・17日放送
目指せ「大きな家族」
熊本地震の復興支援バザーで、地域のつながりを実感した。そんな折、知り合いの教会が「こども食堂」を始めることに。
目指せ「大きな家族」
和歌山県在住 岡 定紀
今から6年前の2016年4月、熊本地震が起こりました。日本は元々、台風や地震など自然災害の多い国と言われてきましたが、近年特に大きな自然災害が増えているような気がします。
この熊本地震の後、私どもの教会では、子ども達のためのお祭り行事をするのに合わせて、復興支援バザーを行うことにしました。少しでも力になれたらという思いからです。
当日は子どもはもとより、近所に住みながらも、普段顔を合わせることのない人たちが来てくださり、人と人とのふれ合いの良さを改めて感じました。また、この日は子どもたちと駅前で募金活動も行い、多くの方が募金をしてくださる姿に、たすけ合いの尊さを身に沁みて感じました。
さて、バザーの翌日、当日参加出来なかったという方から電話がありました。「次はいつやるのでしょうか?」と聞かれ、正直、次回のことは考えていなかったので戸惑いました。しかし、これはご近所さんが楽しみにしてくれている証拠だと思い、咄嗟に「秋にやりますので是非来てください」と答えました。
その方は、ずいぶん先だと思ったのか残念そうな様子でしたが、「次やる時は先に知らせてください」とのことでした。心待ちにしてくれている人がいるのだと、気付かされた瞬間でした。
それから半年に一度のペースでバザーを続けました。参加してくれる人も、出品に協力してくれる人も少しずつ増えていきました。また、滅多に顔を合わせることのない人同士でも、自然と会話ができるように、会場内にカフェスペースを作りました。参加者同士が楽しそうに話している様子を見て、それまであまりなかった地域の交流の機会を提供することができて、本当に良かったなあと思いました。
そうしているうちに、隣町の知り合いの教会が、「こども食堂」を始めることになりました。こども食堂のことは、テレビや新聞で知ってはいたのですが、実際に見たことがなかったので、見学させてもらうことにしました。
当時こども食堂は、朝ご飯や晩ご飯を十分に食べることができなかったり、親の帰りが遅く、一人で晩ご飯を食べているような子どもが行くところ、というイメージがあったのですが、そこには予想外の光景が広がっていました。
大勢の子どもが所狭しと走り回り、大人も保護者の他、近所の高齢者の方も参加して、皆で楽しく食事をしていました。この日は百人以上の参加があったそうです。ボランティアの方も大勢おられ、まさに地域が一つになって力を合わせている感じが伝わってきました。
「バザーもいいけど、うちでもこども食堂を始められないだろうか」
そう強く思うようになりました。それから半年かけて準備をしました。チラシを作ってご近所を回ったり、ボランティアを募ったり、駐車場を借りたり、色々な人にご協力をお願いしました。
そうして2018年4月に、第一回目を開催することができました。うちの子どもたちが通う近所の学校にもチラシを配ったおかげで、150人ほどの参加者があり、賑やかで楽しい場となりました。
当日は地元の新聞社からも取材を受け、翌日の紙面に掲載されました。見出しは、「目指せ『大きな家族』」でした。地域に住む人々がお互いに温かい目で見守り合いながら、一つひとつの家庭が幸せに包まれるように、という思いを表した言葉です。
天理教では、神様を、私たち人間の親であることから、親神様と申し上げます。親神様は人間が互いにたすけ合い、陽気に包まれた世界を見て共に楽しみたいと、今の世界と今の私たち人間をお育てくださいました。
さらに親神様は、私たち人間の身体の隅々にまでご守護をくださっています。そのことに感謝して、人に喜んでもらえるようにこの身体を使わせていただくことが大切だと教えられています。
そして、毎日いただく食べ物も、すべては親神様のご守護によるものであり、感謝を込めて「いただきます」というのが、本来の食事のあり方だと思うのです。
昨今は、両親共働きで、仕事の忙しさに追われ、ゆっくり食卓を囲む家庭が減っていると聞きます。そんな中、たまには親子共々、さらには地域の方々とも一緒に食事をとるような場があれば、心に余裕が生まれてくると思うのです。
そんな思いで始めたこども食堂ですが、次回からはそこで見られたエピソードを紹介していけたらと思います。
身上がもとや
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、ある時、こんなお諭しをされました。
「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで、二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ」(教祖伝逸話篇 187「身上がもとや」)
これは、喜多治郎吉さんによって語り伝えられたお諭しです。
ここでは、私たちの身体のことを指す「身上」という言葉や、「命あっての物種」「金銭は二の切り」、二の切りとは、二番目に大切なものという意味ですが、そのような表現を使って、命の尊さという一般的な倫理が説かれているようにも見受けられます。しかし、教祖の教えは、そのような一般倫理にとどまるものではありません。
教祖直筆による「おふでさき」の、次の二首のおうたに、なぜ、私たちの身体や命が尊いものなのか、その大事な点が示されています。
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ(三 40)
にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら(三 41)
この世界は「神のからだ」であり、私たち人間は神の懐住まいをさせて頂いている。そして、この世の一切のものは、神様からのかりものであり、その最たるものが人間の身体である。
なぜ、身体や命が大切なのか。そこに、与えられた身体を精いっぱい使って、「陽気ぐらしをするように」という、神様の深い親心が込められているからなのです。
この教祖のお諭しを後に語り継いだ喜多治郎吉さんは、背丈は六尺、180センチを超す堂々たる体格で、若い頃には相撲の修行に励んだり、柳生流の剣の極意を学んだこともありました。およそ60キロもある金平糖の入った桶を、両手にひとつずつさげて軽々と神殿へ運んだという逸話が残されています。
治郎吉さんのように、どれほど頑強な身体の持ち主でも、神様のご守護があってこそ存分に働かせて頂けるのであり、大切なのは、「かしもの・かりもの」の理をよく聞き分け、慎みの心で通ることである。そのようにお仕込みくだされているのです。
(終)