(ラジオ天理教の時間)
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第1191回2022年8月13日・14日放送

カルガモ親子の救出

辻さん01
辻 治美

文:辻 治美

第1175回

まま食べるのも月日やで

小さい頃に聞いた「まま食べるのも月日やで」という言葉。息子の手術でそれを実感し、感謝の思いが込み上げた。

まま食べるのも月日やで

京都府在住  辻 治美

 

私は小学一年生の時に、教会の鼓笛隊に入隊しました。音符の読み方や楽器の鳴らし方などまったく知らず、鼓笛隊が一体どんなものかさえ知らずに入りましたが、お友達と過ごす時間が楽しくて、すぐに大好きになりました。

鼓笛隊では様々な楽器を使います。太鼓やシンバルなどのドラムパート、ピアニカ、鉄琴などの鍵盤パート、メロディーを奏でる横笛はファイフパートと呼ばれ、中学生や高学年の子は大きな楽器を担当し、私のような低学年の子はほとんどが横笛のファイフパートでした。

初めてファイフを習った日のことを、今でもはっきりと覚えています。大きな模造紙に五線譜と音符が書かれていました。指導してくださるのは、鼓笛隊を立ち上げた教会の奥様で、優しい声で「この音がドです。指はこう押さえます」と、横笛の穴の押さえ方を教えてくださいました。

次に吹き方です。すぐに音が出る縦笛と違い、横笛の吹き方はとても難しく、息がうまく入らないと全く音が鳴りません。「ふー、ふー」と練習していると酸欠になりそうでしたが、だんだんとコツをつかみ、「ピー」と音が出た時は嬉しくて、すぐにファイフの虜になりました。

練習の合間の休み時間には、大きい子も小さい子も一緒になって「だるまさんが転んだ」や鬼ごっこ、あやとりなどで遊び、昼食はみんなでカレーを食べました。月に一度か二度の鼓笛隊の練習のおかげで音楽が好きになり、みんなで合奏して曲を奏でる感動を味わうことができました。今思えば、習い事などしていなかった子どもが多かった時代、鼓笛隊は素敵な習い事でした。

音楽を習う以外にも、パネルシアターや楽しい講話などで教えを学ぶ時間もありました。パネルシアターでは、「腹も立ったぞ、毛も立つぞ!」という歌に合わせて、腹を立てた子どもの髪の毛が一瞬で逆立つという演出があって、びっくりしました。

腹を立てると心にほこりが積もってしまうから、ほこりを払ってきれいな心になろうという歌で、そのあと箒が出てきて腹立ちの心を払うと、髪の毛は元に戻るというお話でした。他にも良くない心の使い方を、楽しい歌とイラストで見せてくれて、子どもながらに「良い心のほうがええなあ」と思ったものです。

また、別のお話名人のおじさんは、こんな言葉を教えてくれました。「まま食べるのも月日やで、物言うのも月日やで、これ分からんがざんねんざんねん」というお言葉です。おじさんは、「ご飯を食べられるのも、お話ができるのも、すべて月日親神様のお働きのおかげ。それが分からず、身体は自分のものだと思い、当たり前を感謝せずに暮らしているのが、神様は残念でならないという意味です」と、分かりやすく教えてくださいました。

そのお話を聞いてから、鼓笛隊の食事の時は、みんなで手を合わせ、声を揃えて「まま食べるのも月日やで」とこのお言葉を唱えてから、「いただきます」をするようになりました。

あれから40年以上が経ちますが、先日、この言葉が鮮やかによみがえる出来事がありました。

それは息子の手術の時でした。私には四人の子どもがいますが、11歳になる一番下の息子は重度の障害があり、痰の吸引や胃ろうなどの医療的ケアが必要です。

昨年末に胃ろうの手術をしました。それまで口からミキサー食を食べていましたが、成長に伴い栄養が足りなくなり、胃に直接栄養を届ける胃ろうが必要になったのです。また、逆流性食道炎になるのを防ぐため、胃の入り口を狭くする手術も併せて行われました。

手術に際し、担当医から説明を受けました。

「術後は小児の集中治療室に入ります。すぐに自発呼吸が戻ればいいのですが、戻りにくい場合はしばらく人工呼吸器をつけて様子を見ます。また、術後すぐに胃が動く人もいますが、三週間ほどしてようやく動き始める人もいます。動いているかどうか検査をしてから、胃ろうを使います」

それを聞いて、私はびっくりしてしまい、「お医者様でも動くか動かないか分からないんですか? 三週間も動かなかったら、もう二度と動かない可能性もあるんじゃないですか?」と思わず尋ねてしまいました。

すると、「医者でもいつ胃が動き始めるのか全く分かりません。でも、時間が掛かってもちゃんと動き出しますので安心してください」と答えてくださいました。

私はこの時、幼い頃に聞いた「まま食べるのも月日やで」のお言葉が頭を駆け巡り、言葉にならないほどの感動で胸がいっぱいになりました。

「人間の身体は何てすごいんだろう! 呼吸をすることも、胃が動いて食べた物が自然に消化されることも、当たり前と思って過ごしているけれど、何て素晴らしいお働きなんだろう!」

と、神様への感謝の気持ちが込み上げてきました。

手術当日、息子の身体におさづけというお祈りをし、身体のお働きに感謝して手術室へ送り出しました。術後すぐに自発呼吸が戻り、胃もすぐに動き出して胃ろうが使えると分かった時、有り難くて涙が出ました。

この素晴らしい身体をお貸し下さっている神様への感謝を忘れず、幼い頃、楽しいお話で心に宝を授けて下さったおじさんたちに代わって、子どもたちに大切なことを伝えていけたらと思います。

 


 

小さい時から

 

常にあたたかい親心をもって、数多くの人々をたすけられ、導かれた天理教教祖・中山みき様「おやさま」。若い頃に教祖と出会い、そのお慈悲にふれた人々の中には、生涯をかけてご恩報じに励んだ信仰者が数多くいます。

明治十六年、今川聖次郎(いまがわ・せいじろう)さんの長女ヤスさんは、九歳の時、花疥癬という、膿を持つ伝染性の皮膚病にかかりました。ヤスさんが親に連れられておぢばへ帰り、教祖の御前に出させて頂くと、教祖は「こっちへおいで」と仰いました。恐る恐る前に進むと、「もっとこっち、もっとこっち」と仰せられます。

それで、とうとうお膝元まで進ませて頂くと、教祖はお口でご自身の手を湿らせ、そのお手でヤスさんの全身を、「なむてんりわうのみこと」と唱えながら、三回お撫でくだされ、続いてまた三度、また三度とお撫でくださいました。

ヤスさんは子ども心に、身体についた汚れものを少しもおいといなさらない教祖の大きなお慈悲に感激しました。翌朝、起きてみると、花疥癬は跡形もなく治っていたのです。

ヤスさんの教祖の親心に対する感激は、成長するに従ってますます強くなり、そのご恩にお応えさせて頂こうと、生涯、神様の御用の上に励んだのです。(教祖伝逸話篇129「花疥癬のおたすけ」)

また、

明治十二年、十六歳の抽冬鶴松(ぬくとう・つるまつ)さんは、胃の患いから危篤となり、医者も匙を投げてしまう状態でした。親戚筋からの勧めもあり、入信を決意した鶴松さんは、両親に付き添われ、戸板に乗せられて大阪からおよそ五十キロの山坂を乗り越え、ようやくお屋敷へ到着しました。

翌朝、さっそく教祖にお目通りさせていただくと、教祖は、「かわいそうに」と仰せられ、着ていた赤の肌襦袢を脱いで、鶴松さんの頭から着せられました。すると、教祖の肌着の温みを身に感じた鶴松さんは、夜の明けたような心地がしたと言い、あれだけ苦しんだ難病も、やがて全快のご守護を頂いたのです。

鶴松さんは後年、その時のことを思い出しては、「今も尚、その温みが忘れられない」と口癖のように言ったと伝えられています。

二人にとって教祖との出会いは、生涯の行方を決定づけるほどに、心に深く刻まれた出来事だったのです。(教祖伝逸話篇67「かわいそうに」)

教祖は、

「もう道というは、小さい時から心写さにゃならん」(「おさしづ」M33・11・16)

と仰せられ、幼い子どもへ、この道を伝えることの大切さをお諭しくだされています。

(終)

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