(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1149回

和香ちゃんと和加ちゃん

院長のお産の処置に納得がいかず、退職まで考えた私。救ってくれたのは、生まれたばかりの「和香ちゃん」だった。

和香ちゃんと和加ちゃん

助産師  目黒 和加子

 

本日は日勤。白衣に着替え、ナースステーションに向かって歩いていると、疲れた顔の産婦さんがトイレから出てくるのが見えました。陣痛が来て、夜中から入院している初産婦の中尾さんです。

入院時、子宮口は3センチ開大。夜勤の助産師は、「陣痛が弱くて、朝になっても3センチのまま。お産が全く進まないのよ」と困った顔。

中尾さんは微弱陣痛に陥り、分娩は停止。分娩促進剤を使わないと、経腟分娩は難しい状態になっています。

院長は、中尾さんとご主人に、「こんな微弱陣痛では、いつまで経っても産まれません。促進剤を使ってお産を進めます」と説明。ただちに促進剤の点滴が始まりました。

開始されるや否や、院長は投与量をどんどん増やしていきます。オレ流で進める院長に、私は「こんな急に量を増やしたら、子宮破裂につながりかねません。慎重に投与してください」と、真っ向抗議!

「大丈夫や。子宮破裂なんて、ないない」と院長。

「すでに陣痛は3分間隔になっています。母体にも胎児にもストレスが大きすぎます」と私も譲りません。

院長は促進剤の量を上げる。私は下げる。また上げる、そして下げる。二人の攻防が繰り広げられました。

そして、ついに胎児心拍が不安定に陥ったのです。「しんどいよ~」胎児の声なき声! 促進剤を中止しましたが、胎児心拍は不安定なまま回復しません。すぐ帝王切開に切り替える必要があります。

しかし、この医院には手術室がありません。帝王切開ができないのです。結局、中尾さんは近所の総合病院に救急搬送となりました。

緊急帝王切開で無事に生まれたものの、私の眼は怒りで吊り上がり、頭からは湯気が立ちのぼっています。

「産婦と胎児に過剰なストレスかけただけやん。お母さんの命を、赤ちゃんの命を何と思てんねん!この先生とは仕事でけへん!」

阿修羅と化した私は、休憩室のゴミ箱を蹴り倒して勤務終了。帰宅すると、すぐに「退職届」を書き、カバンに入れました。

次の日、辞める覚悟で出勤。申し送りの後、院長室に行き、机に「退職届」を叩きつけるつもりです。鬼の形相でナースステーションに入りました。

すると、夜勤を終えた助産師がニコニコしながら近寄ってきて、「目黒さんが気にしてた吉田さん、夜中に産まれたで。今回は初産の時と違ってお産の進みが早くて、精神的にも安定してたわ。そうそう、赤ちゃんの名前、見てみ」

ベビーベッドに目をやると、「吉田和香ちゃん」と書いてあります。

「二年前の初産の時、目黒さんの真心のケアに夫婦で感動して、女の子やったら目黒さんの名前をもらおうって決めてたらしいで」

私の名前は、平和の「和」と「加える」に子どもの「子」で「和加子」。吉田さんの赤ちゃんは、平和の「和」に「香」(かおり)で「和香」と名札に記されていました。

吉田さんは、二年前の初産の時、私が取り上げた方です。彼女は結婚前に、ちょっとしたことで不安になり、自分を見失ってしまう「不安神経症」と診断され、心療内科に通院していたことがありました。結婚してからは安定していたのですが、陣痛のストレスで不安発作に陥ったのです。

陣痛室で吉田さんは、私の白衣をつかみ、引っ張って離そうとしません。
「助産師さん、そばにいてー! 離れたら死んでしまう、たすけて、たすけてー!」と叫び続けました。

その日は夜勤で、私は夕食を食べに行くことができず、側を離れたのはトイレの時だけ。その状態が一晩中続いたのです。ポケットはちぎれ、ボタンも取れ、白衣はボロボロ。私は身も心も、ぼろ雑巾のようになりました。

そんな中、神様におすがりして最後の気力を振り絞り、何とか取り上げたのです。朝の光が分娩室に差し込む中、元気な産声が響きました。

赤ちゃんの顔を見て、正気を取り戻した吉田さん。ご主人と二人で私の手を握り、「このご恩は生涯忘れません」と涙をポロポロ流しました。

今回、そんな吉田さんの二人目の出産予定日が近づいていたので、同僚の助産師に、様子を知らせて欲しいとお願いしていたのです。

すやすや眠る和香ちゃん。その顔は穏やかで純粋そのもの。片や阿修羅の形相の和加ちゃん。こちらはドンパチ寸前の戦闘モード!

このギャップに助産師の和加ちゃんは、はたと考えた。女の子だったら私の名前をもらおうと決めていた吉田さんの前で、そして産まれたばかりの和香ちゃんの前で、「辞めてやる~!」と、退職届を叩きつけていいのだろうか?

目を閉じ、10秒沈黙。頭をクールダウンして考えました。

「和香ちゃんが大きくなった時に、『あなたが名前をもらった目黒和加子さんは、理由はどうあれ、お医者さんとケンカしてやめた人だ』と言われてしまう。それでは吉田さんと和香ちゃんに申し訳ない。和香ちゃんにスクスク育ってもらうためにも、今は踏ん張るしかない」

奥歯を食いしばり、拳を握りしめ、「エイッ!」と心を切り替えた瞬間、ハッと気づきました。

「そうか。神様が止めに来はったんや。神様は吉田さんのお産を今日にして、赤ちゃんの名前を『和香』にして、ここを辞めへんように思いとどまらせる作戦や。『あんた、これでも辞めるんか。辞めれるんか』と問うてはる。理由は分からんけど、この医院に勤めなければならない何かがあるんやわ」

生まれたばかりの和香ちゃんを抱っこすると、目を開けてこちらをじぃ~っと見ています。

「目黒さん、気持ちは分かるけど、辞めたらあかん! 踏ん張って、踏ん張ってや!」と、エールを贈っているようです。

つぶらな瞳を見つめながら、頭の中を整理整頓。そして結論が出ました。

「今日、産まれてきてくれたことに大きな意味があるんやね。和香ちゃんが物心ついた時、私の名前をもらって良かったと思ってもらえるような和加ちゃんになるよう努力します」

つぶやくように話しかけると、和香ちゃんは大きなあくびで答えてくれました。ポケットの「退職届」は、封筒ごとシュレッダーにかけました。

今も私は、その産科医院で日々奮闘しています。時々は院長と一戦交えることもありますが、今年で17年目となりました。

あの時、神様の想いに気づかせてくれた和香ちゃんは、現在、中学一年生。担任の先生から、「男の子たちもタジタジの負けん気の持ち主ですね」と言われているそうな。

どちらの「わかちゃん」も、めっちゃ気が強いのね~。そして、「大きくなったら、目黒さんみたいな助産師になる」と言ってくれています。

「目黒さんみたいな」とは、身体を張って母と子の命を守る〝体当たり助産師〟という意味らしい…。

和香ちゃんと和加ちゃん、二人の「わかちゃん」が、一緒にお産の最前線に立つ日が来るかもしれません。想像するだけでウキウキ、心弾みますね。

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