(ラジオ天理教の時間)
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第1123回2021年4月24日・25日放送

頑張れ、私たち!

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芦田 京子

文:芦田 京子

第1116回

物言い

揃って相撲好きのわが家。ある日、妻に「かいなを返す」の意味を聞かれ問答に。言葉で説明するのは本当に難しい。

物言い

奈良県在住  遠藤 正彦

 

娘にとって、一年の半分の、そのまた半分の日は待ちに待った楽しい時間がやってきます。ひと場所十五日間、一年に六場所、計九十日行われる大相撲が大好きなのです。

私たち夫婦も相撲が好きで、娘が妻のお腹にいる時も、郷土の力士や偶然同じ名前で活躍している関取に肩入れし、応援していました。

「今日も勝って良かったね。差し手争いから右手のかいなを返せたところがうまかったね」などと専門家気取りで私が解説すると、妻も「あれは立ち合いで押し勝って、相手の上体を浮かせたのが勝因よ」と返してきます。

ある時、「ねえ、ところで『かいなを返す』ってどういう意味?」と妻がたずねてきました。

「かいなを返すっていうのは…、ほら、あれだよ、相手の脇の下に腕を入れて押し上げるようにすることだよ」

自分の右手を持ち上げながら説明します。

「それは分かるけど。どこを返してるの?」

昔読んでいた相撲漫画で得た知識を思い出して答えます。

「腕を上げる時、手のひらの親指を下に向けて返すんだよ。そのほうが力が入りやすいんだって」

勝負あったかと思いましたが、妻は審判席の親方よろしく物言いをつけてきます。

「それなら『手のひら返し』じゃないの。かいなってどこのこと?」

「うーん。『手のひら返し』っていう名前だと別の意味になりそうだからかなあ。そう言われると、かいなってどこなんだろうね」

どうやら、ただいまの勝負、同体とみなし「取り直し」のようです。

そんな他愛もない会話を、お腹の中で聞いていたからでしょうか。娘はハイハイし始めると、テレビに映る取り組みに興味津々で近寄っていき、立つことができるようになると、仕切りに合わせて腰を下ろすようになりました。

しっかり歩くことができるようになった今では、四股をふむように足を上げ、取り組み前に気合いを入れる力士をまねて、自分のほっぺたやお尻をペチペチ叩いて喜んでいます。

ひいきの力士が横綱を破って金星をあげ、館内に座布団が飛び交う時、わが家では赤いリボンをつけた猫のぬいぐるみが宙を舞います。

お腹がすいたり、少し眠たかったりで機嫌が悪い時でも、相撲が始まればニコニコしています。そんな娘を見ると、毎日とまでは言いませんが、年に十場所ぐらいやってくれないかと思ってしまいます。

さて、小さい頃から相撲を見ている娘にとって、相撲とはこれまで親しんできたものであり、見てきたもの、そのものが相撲として頭にあるのだと思います。しかし、一度も見たことがない人に、相撲について説明するのは至難の業ではないでしょうか。まわしやまげなど、力士の格好だけでも、きちんと理解してもらうためには多くの言葉を費やさなくてはならないでしょう。

現代はインターネットにより、パソコンやスマートフォンさえあれば、画像だけでなく動画もすぐに見ることができます。知らない人に相撲を説明するには、実際の取り組みの様子を動画で見てもらうのが一番早いのではないかと思います。

もし自分が分からないことを聞かれても、インターネットで検索すれば、すぐに回答を探すことができます。これは本当に便利なことですが、分からない相手に言葉を尽くして説明する姿勢を失ってしまうことは、避けたいものです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、それまで誰一人知らなかった世界の創まり、人間創造の真実をお説きくだされ、この世界を陽気ぐらしへ導くための「おつとめ」を教えてくださいました。特におつとめの手振りについては、教祖は三年の歳月をかけて丁寧に教えてくださったのです。

物事には、それだけ時間をかけるからこそ、しっかりと身につくものがあります。最近の社会では、お手軽なもの、すぐに結果や効果の出るものが重宝され、すぐに数値化されないものや、目に見える成果の出ないものは敬遠される傾向があります。会社や学校でも、指導者が結果を意識しすぎるために手段がないがしろにされ、問題になることもあります。

時間をかけるということは、それだけ相手の成長を待つことであり、こちらが待てるための心を作るということでもあります。そして、相手の成長に応じてこちらが言葉や態度を変化させつつ、導いていくということでもあります。

おつとめの手振りについて、教祖は「子供が羽根をつくようなものや」と仰せられました。
かつて子供たちはお正月に羽根つきをしながら、数え歌を口ずさみ、言葉を覚えていきました。お正月のような明るい雰囲気で、楽しみながら物事を覚えていくことの大切さを、教祖は教えてくださったのではないでしょうか。

今は無邪気に楽しんでいる娘も、成長すれば分からないことや心に治まらない出来事に出会うことでしょう。そんな時、娘の成長に応じた言葉を掛けられるかが、私の父親としての力量が試される大一番だと思います。

ちなみに「かいな」とは、肩からひじの部分を指す古い言い方だそうですが、なぜその部分を「かいな」というのかは分かりませんでした。物の言い方というのは、本当に難しいものです。

 


 

機嫌よく暮らす
 

誰でも機嫌のいい時ばかりではありませんが、気分次第で人に気を使わせることは、なるべくなら避けたいものです。よくある話では、プロ野球でひいきのチームが負けた翌日の朝は、機嫌が悪いというお父さん。「そっとしておこう」と家族が気を使い、朝の食卓の雰囲気も沈みがちです。これはまだのどかな話ですが、このような気分屋の性質は誰しも持っているもので、気をつけなければなりません。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、
「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る」(「おさしづ」M22・2・14)
と教えてくださいました。

神様から心を自由に遣うことを許されている私たちは、自由なだけに良い心も遣えば、悪い心も遣います。しかも人は人と関わりながら生きていくわけで、自分ではコントロールできない激しい感情が生まれる場合もあるでしょう。

いつも機嫌よく過ごすには、感情が安定していることが必要です。喜怒哀楽さまざまある中でも、喜びや楽しいといった感情はいつでも大歓迎ですが、怒りや哀しみは、陽気ぐらしからは遠ざかってしまうもので、誰からも歓迎されることはないでしょう。

教祖は、陽気ぐらしへの妨げとなる自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえて教えられていますが、そのうちの「はらだち」について、次のようにお聞かせいただいています。

「はらだちとは、腹が立つのは気ままからであります。心が澄まぬからであります。人が悪い事を言ったとて腹を立て、誰がどうしたとて腹を立て、自分の主張を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないから、腹が立つのであります。これからは腹を立てず、天の理を立てるようにするがよろしい。短気や癇癪は、自分の徳を落とすだけでなく、命を損なうことがあります」

では、どのような心持ちなら、腹を立てることなく、いつでも機嫌よく過ごすことができるか。その思案の元が、教祖の歩まれた道「ひながた」にあります。

教祖がこの教えを広める道中は、苦難の連続でした。人がたすけを求めて寄って来たといっては、警察の取り締まりを受けることも度々で、教祖も幾度となく監獄署に拘留されました。しかし、そのような事態に際しても、教祖は決して心を倒すことはありませんでした。

教祖の道すがらを記した『教祖伝』には、

「教祖は、親神の思召を理解出来ぬ人間心を、残念と誌して激しいもどかしさを述べられながらも、頑是ない子供の仕草として、些かも気に障えられる事なく、反対する者も拘引に来る者も、悉く可愛い我が子供である、と思召されて、いそいそと出掛けられた」(141~142頁)とあります。

いそいそとは、心が浮き立って、動作が軽やかなさまを言います。人間の目から見れば逆境であっても、教祖のお心はいつでも「いそいそ」なのです。

教祖は、どこへお出かけになるにも、「歩かれる様子は、いかにも軽やかで速かった」(「教祖殿」166頁)と伝えられています。

私たちも、気持ちが沈んでいる時は、動作を早くしてみたり、いつもより早く歩いてみたり、少しばかり「いそいそ」と動くことを意識してみてはどうでしょう。そんなちょっとしたことが、心の明るさを取り戻すきっかけになるかもしれません。

(終)

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