(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1108回

千里同風

娘の保育園の送り迎えをする私に、妻は園での様子を詳しく聞いてくる。気のない返答に、妻の厳しい視線が…。

千里同風

奈良県在住  遠藤 正彦

 

「連絡帳に今朝の体温を書いた?」
朝食の食器を片付けながら妻が尋ねます。
「測ったけど、まだ書いてない。今朝は65分だった」
私は走って逃げる娘を追いかけ、着替えを始めるところでした。
「オッケー、書いておくね。オムツは大丈夫?」
「さっきは大丈夫だったけど…うわ~、たっぷり出てる。替えておくから、間に合うように出てね」
「わかった。連絡帳はかばんに入れておくから忘れないでね。あと、最後に戸締まりもお願い」
「了解。気をつけてね」
「あなたも」
そう言い残すと、妻は玄関を飛び出していきます。

私は何とか娘の着替えを済ませ、オムツを新しく替えると、火の元、戸締まりを確認、自分と娘のかばんを車に積み込み保育園へと向かいます。こうして我が家の朝は、今日も慌ただしく過ぎ去っていくのです。

二か月間の待機児童生活を終え、ようやく決まった保育園は、希望していた近所ではなく、少し離れた場所にあります。そこは妻の職場とは真逆の方向にあり、私の職場のほうが近いことや出勤時間などを考え、送り迎えは私がすることで相談がまとまりました。

年度の途中からということもあり、最初は慣れない環境に涙を浮かべていた娘でしたが、保育士さんたちの優しい対応や、おいしいお昼ご飯に惹かれたのか、次第に笑顔でいることが増えていきました。

保育園に慣れてくれたのは良かったのですが、成長と共に娘にも自我が芽生え出しました。それまで機嫌よく食べていた朝ご飯も途中から遊び食べになってみたり、車の中でもチャイルドシートにおとなしく乗らず、背中を反り返らせては駄々をこねるようになっていきました。

入園当初は、今日も泣かずに保育園で過ごしているかを心配していた私ですが、この頃は、どうしたら自分の出勤時間に間に合うように朝、機嫌よく保育園に送り出すことができるか、と考えるようになっています。
最初は分からないことだらけの保育園生活が、毎日毎日送り迎えをすることで、すべてが当たり前の光景になっていきました。

そんなある日のことです。
「ねえ、今日は保育園でどんな様子だった?」
ようやく眠りについた娘に布団を掛けながら、妻が聞いてきました。
「まあ、いつも通りかな。園でのことは連絡帳に書いてあるよ」
「保育園への行き帰りはどう?」
「それもいつも通りかな。帰りはちょっと泣いてたけど、最後は泣きやんでたよ」

妻の問いかけは耳に入るものの、頭の中では明日の予定など、まったく別のことを考えていました。そんな様子を察してか、妻の声のトーンがやや下がりました。

「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。保育士さんも、いつもと変わらず元気だったって言ってたし、何も心配ないよ」

変わらない私の態度に、妻の視線が厳しく迫ります。
「聞いて。私はあなたがちゃんと様子を見ているか、責めてるわけじゃないの。こうやってぐっすり眠ってる姿を見れば、保育園で楽しく過ごしてきたんだなっていうことは私にもわかるよ。でもね、今日は今日で送り迎えの時にどんなことがあったかを知りたいの。家を出て離れたって、忘れてるわけじゃないの。仕事場までの電車の中でも毎日毎日、今どうしてるかな、元気にしてるかなって考えてるの。離れていても子供を思う気持ちは一緒でしょ」

妻の思いは私の心にズシンと響きました。
私は、知らず知らずのうちに送り迎えをすることや、娘と一緒にいることが当たり前になっていました。
思い返せば娘は、最初、私が持っていた保育園用のかばんを自分で持ちたがるようになったり、最近では、二階にある教室までの階段を、手すりにつかまりながら自分の足で登ろうとするようにもなっています。
こうした変化も、毎日送り迎えをする私にとっては見慣れたものですが、妻にとってみれば大きな成長の証なのです。

昔、天理教のある先生は、困っている人や悩んでいる人のおたすけに行く際、どこで、どんな人が、どんなことで困っているのかを、奥さんに事細かく話をしてからおたすけに向かったそうです。
それを聞いた奥さんは、その場所が遠く離れた所でも、自宅にいながら先生と同じ気持ちで、困っている人のたすかりを神様にお願いしていたのです。

そうして多くの人がたすかっていったのですが、ある時、先生が奥さんに説明しないままおたすけに出向いたところ、すっきりとご守護をいただけないことがありました。
そのことに気がついた先生は、改めて自宅に戻って奥さんに話をするとともに、夫婦二人で心を揃えてお願いすることで、ご守護をいただいたそうです。

遠く離れているところにも同じ風が吹くように、たとえ夫婦別々の場所にいても、お互いに心を揃えて願う気持ちを、神様は必ず受け取ってくださるのです。

ふと目をやると、娘は安らかな寝息をたて、私たち夫婦に優しい風を送ってくれているのでした。

 


 
神様からの宿題  -言葉の代わりに-
  (「人間いきいき通信」2002年7月号より)

Aくんは小学五年生の男の子で、不登校の状態が一年以上続いていた。週に一度の面接のとき、彼は必ず、自作のスゴロクを持参した。最初にそのスゴロクを見たときは驚いた。
スタートからゴールまでの百個以上のマス目一つひとつに、文字がびっしり書き並べられていて、なかなか先へ進むことができないのだ。

私と彼とが交互にサイコロを振るのだが、目の数だけコマを進めると、
「二回休憩!」
「三マス戻る!」
「目をつぶって五分間黙る!」
など、どのマス目も停滞と後退の繰り返しで、やっと半分進んだと思うと、またスタートに戻ってしまう。

「これじゃ、いつまでたっても上がれないよ」と嘆く私に、彼はほほ笑みながら、毎回新しい「上がれないスゴロク」を持ってきては、サイコロを振り始めるのだった。
正直、「上がれないスゴロク」は、私にとってシンドイものだった。常に中途半端な形で終わるので、心は落ち着かないし、精神的にも疲れる。それでも彼がここまでこだわるのには訳があるはずだと、およそ半年間、気長に付き合っていた。

そしてある日、ふと気がついた。
このスゴロクをしているときに感じる苦しさは、何日もかけて、ひたすらこれを作っているAくんからの言葉にできない私宛てのメッセージなのだ、心の中のいろいろな思いが邪魔をして前になかなか進めない苦しさを、スゴロクに託して、SOSを発信していたのだと、心にピーンと響いたのである。

以後、私はスゴロクの上がりにこだわることなく、彼の気持ちを大切に受けとめて楽しむことができるようになり、それと同時に、彼も少しずつ変化を見せ始めた。

やがて、スゴロクに空白のマス目が現れ、その数がだんだん増えて、
「三マス前に進む」
「ボーナスチャンス! サイコロの目の数だけ進む」
などの前進マスが出てくるようになった。
そしてついに、二人ともゴールインできるようになり、それからしばらくして、彼は学校に通い始めたのである。

あるとき、対人恐怖症と診断された中学生の女の子が、こう話してくれたことがある。

「私が話せば話すほど、周りの人たちは誤解するの。何もしゃべらずに黙っていようと何度も思ったけれど、周りはそれも許してくれない。言葉に表しても分かってもらえないから、自分の気持ちを話せと言われるのが怖い。いつも相手に気を使いすぎて、自分が何を言いたいのか分からなくなってしまう。話す前に疲れてしまう」

私たち大人は子供によく、
「はっきり言いなさい!」
「ちゃんと言葉にして言わなければ何も分からないよ!」
と言って叱ることが多い。
しかし、自分の思いをきちんと言葉に整理して話せるくらいなら、誰も悩んだり苦しんだりはしないのだ。

むしろ、言葉に表してもらわねば相手の心を感じることができないという、受ける側に問題があるとも言える。
子供の中にあるたくさんの複雑な思いを、大人の都合に合った聞こえのいい言葉になど、まとめられるはずはないのである。

相手の口から発せられる言葉にだけ頼ってしまうのではなく、表情や態度などから「言葉にならない言葉」を感じとる力を、日ごろから養っていくことが大切だと思う。

それは、自分自身にとっても、人生の折々に病気やさまざまな事件などの形で与えられる神様からの「言葉にならないメッセージ」を、正しく読みとっていくトレーニングにつながっていくのである。

(終)

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