(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1091回

ホカツ宣言

夫婦揃っての〝ホカツ〟を経て、一歳の娘が保育園に。保育士さん達の愛情の大きさには、いつも頭が下がる。

ホカツ宣言

奈良県在住  遠藤 正彦

「ホカツしようと思うんだけど、どう思う?」

妻からの問いかけは、突然やってきます。ほとんどの場合、予測することは不可能なのですが、こうも分からない言葉を投げかけられるとは思ってもいませんでした。

最近、何か妻の機嫌を損ねるようなことをしただろうか。何か頼まれていたことを忘れていないだろうか。頭の中で、ここ数日の出来事をアレコレ思い浮かべるのですが、全く身に覚えがありません。それでも十年近く夫婦生活を続けていると、こういう時どう答えればよいのか分かってくるものです。人生において、失敗こそが最も素晴らしい教師となるのです。

「いいんじゃない。ちょうど食べたいと思っていたところだよ」
晩ご飯の献立こそ、日常生活の中で常に大きな問題となるものです。「何でもいいよ」という返事は、一見問題のない答え方のようですが、選択肢を無限に増やすことになるため、ふさわしくありません。
だからといって「鮭のホイル焼きが食べたい」などと、具体的すぎる返答もよくありません。「昨日も魚だった」「アルミホイルがなくなりそう」「私はカレーにしたい気分」などと具体的に反論されます。

ここは妻の意向を受け入れつつ、まさに自分も同じものが食べたかったと同意するのがベストです。
勝利宣言を確信した私に対し、妻は眉をひそめます。
「何言ってるの、保活よ、保活。保育園への入園活動を始めようと思ってるの」。
こうして今日も私に教師が一人増えるのでした。

妻は市役所からもらってきたという資料を広げながら説明します。
「この地域の保育園事情を知ってる? 保育園の数は少なくないけれど、子供の人数が結構多くて、待機児童になっている子も多いんだって。私も近々仕事復帰を考えているし、預かってもらえる場所がないと困るのよ。だから保育所だけじゃなく、認定こども園も含めていろいろ見ておこうと思ってるの」

我が家には一歳になる娘がおり、すくすく育ってくれているのですが、私と妻お互いの両親は距離的なことや仕事の都合などで、長期間預かってもらうというわけにはいきません。妻も仕事をしながら産休と育休を取得し、子育てにつとめてくれていましたが、職場からの復帰要請もあり、いよいよ子供を預ける必要性が生じてきました。
資料には、それぞれの園の場所や大きさ、教育方針、保育時間、保育費などが細かく記載されています。

「まあ、それはそうだけど、そんなに焦らなくてもいいんじゃない? 子供と一緒にいられる時期は限られてるんだから。一緒にいてあげられる間は一緒に過ごしたら」。
何気ない言葉にこそ注意を払わなければならない、という教訓を私はあっさり手放してしまいました。

「あなた何か誤解してない? 一緒にいてあげたいのは私も同じ。でも、一緒にいたいって言ってるあなたも実際は仕事をしてる。あなたは仕事を辞めてまで子供と一緒にいたいと思ってるの? そうじゃないでしょ。子育ては大事、仕事も大事。私はあなたにどっちの方が大事なんて聞いたりしない。どっちも子供のために大事だと思ってる。そしてそれは私も同じなの。父親だから、母親だからじゃない。あの子の親として同じなの。だいたいあなたは自分が子供の時、ずっと家にいたの?」

自分のことは自分が一番よく知っています。
「いや、保育園に行ってた……」
ぐうの音も出ないとは、まさにこの時の私を指している言葉でしょう。

敗北宣言のあと、私は子育てについて、また現在の保育について、いろいろなことを妻から学び、自分でも勉強しました。そこから、いかに自分が偏見やイメージで子育てを考えていたのかということに気付かされました。

子供は三歳まで母親と一緒にいるべきだという「三歳児神話」や、「保育に欠ける」という言い方があるように、未だに保育園に子供を預けることへのマイナスイメージが根強くあること。その上で、働き方や生活スタイルの変化に伴い、以前とは異なり、今求められる保育とはどういうものなのかを改めて知ることになりました。そして何より、実際に子供を保育園に預けて分かったのは、保育士さん達の子供にかける愛情の大きさでした。

多くの子供たちを預かり、常に笑顔で接する保育士さんの姿には、いつも頭が下がります。保育園に迎えに行くたびに、子供が笑顔で楽しんでいる様子が伝わってくるのは、いつも明るくつとめてくれている保育士さんの姿が子供に映っているからだと思います。

年齢を重ねても、人間は皆神様を等しく親とする子供です。職場の人間関係の中でも思い通りに伝わらないことや上手くいかないこともありますが、相手に接する時、神様の子供を預かって育てさせてもらおうという心で日々通ることが出来ているか。自分の心の持ち方を反省する機会を与えてもらった気がしています。

 


   
日々常に誠一つという

ウサギとカメの競争の話は、誰でも知っているでしょうが、要するに一時的な飛躍よりは、たとえ遅くとも一歩一歩の確実な歩みが人生においては大切であることを教えてくれています。

人は苦しいことでも、一時的な働きであれば比較的し易いものです。しかし、たとえ小さなことでも、常に変わらず続けることは容易ではありません。

神様のお言葉に、
「さあ/\続いてあってこそ、道と言う。続かん事は道とは言わん」(明治39・5・21)とあります。
さらには、「変わらんが誠」(明治24・4・27)とのお言葉もあります。
小さなことでも毎日続けること、そして変わらぬ心こそが誠真実であるとの教えです。

神様は折々に「日々(にちにち)」や「常」というお言葉で、私たちの日頃のつとめ方をお諭しくだされています。

「日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」。(おかきさげ)
神様に変わらぬご守護をいただくには、日々、誠真実を尽くすことより他にありません。

一時にどっと流れた川の水は濁っています。しかし、こんこんとして尽きない細い谷川の流れは、いつも清く澄んでいます。

まいた種も急には生えてきません。一時的に急激に行ったことには、どこかに無理が生じてきます。どこから眺めても曇りのない通り方とは、日々ひたすらに誠一つの理を積み重ねていく以外にないのです。

 


 
素直の心が、順序の道

会社で、上司が部下に説教をしています。
「なぜ言うことを聞かないんだ?もっと素直になりなさい!」。これは言い換えると、「つべこべ言わずに、黙って俺の言うことを聞け!」という恫喝にもとれます。

この時、部下は聞いているふりをしていますが、心の中では上司に対して激しく反発しています。怒りにまかせてしまえば、どんな正論であったとしても逆効果。教育とは自分の考えを押し付けるのではなく、むしろ相手の特性を引き出すことにあるのに、どうにもこの上司はいけません。

神様のお言葉に、
「心の温和(おとな)し、何も言わん素直の心が、順序の道である程に」(明治33・1・25)とあります。

人間の親である神様は、子どもである私たち人間に「素直になりなさい」と強要することはありません。目上の者は目下の者の身になって教え、目下の者は目上の者の思いを汲みとって、素直に話を聞く。それが、お互いが成人するための順序であると諭されます。

近年、上司の部下に対するパワーハラスメントが問題になっていますが、次のようなお言葉があります。

「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ」。(教祖伝逸話篇196「子供の成人」より)

親や上司という立場から素直に話を聞いてもらうには、素直に聞いてもらうためのそれ相応の努力が必要なことを忘れてはならないでしょう。

(終)

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