
わが家の夕づとめは、少し遅くなっても、私の帰宅時間に合わせて勤めるようにしています。
結婚した時にお下げいただいた神実様は、最初は狭いアパートの箪笥の上に、小さな木箱に入れてお祀りしていました。それがいまでは、妻や子供たちと一緒に毎日おつとめをする場所があるのですから、本当にありがたいことです。
家族そろって参拝していると、いろいろなことを思い出します。毎日お供えをして、朝夕のおつとめをするようになったのは、6年に及ぶ海外生活の間でした。そのきっかけは、子供の出直しという大きな「ふし」に出合ったことでした。その後も、実父や義父の出直しといった「ふし」のたびに、毎日の参拝のかたちや家族の姿勢が少しずつ変わってきたように感じます。
「もうこれ何かのふしが無ければ、何かの事も聞き流し」
親神様の思召に従って生きることの大切さは理解していても、自分自身の生き方を反省することは、何かのきっかけがなければ本当に難しい。知らず識らずのうちに、自分の都合を優先してしまうからです。
毎日の生活の中で親神様のほうへ心を向け、その親心に感謝する時間を持つことの大切さを教えてくれた、さまざまな「ふし」を思い返しながら、もう一歩先の成人を目指して、今日も拍子木をたたいています。(岡)