一般に「救済」を意味する働きかけを、お道では「おたすけ」と呼んでいます。
おたすけは、たすけ一条の道といわれる「つとめ」と「さづけ」を、ようぼくが誠の心で実行することによって、親神様のご守護、教祖のお働きを頂いて成就されます。つまり、おたすけをされるのは、あくまで親神様であり、ようぼくは存命の教祖の手足となって、身上・事情を抱える人に教えを伝え、心を入れ替えていただくために、ひたすら真実を尽くし、たすかりを願い、身上者にはおさづけを取り次ぐことが、その務めと言えるでしょう。
こうして、身上を病む人が不思議なたすけに浴し、事情に苦しむ人が鮮やかなご守護を頂いて、喜びの姿を見せられても、それで善しとするのではなく、真のたすかりへと導いていくことが大切です。
中山善衞・三代真柱様は、次のように仰せになっています。
「おたすけということは人をたすけることであります。人をたすけるということは、ただ病気を治すことじゃないんです。病気が治ったからというて、おたすけが済んだんじゃないんです。おさづけを取り次いでいただいて、もし病気がよくなったという結果を見たならば、私は取り次いだ人も取り次がれた人も、きっと、なるほど親神様の御守護だと心に感得するだろうと思います。かくなる上は、私もあの人と一緒ににをいがけ・おたすけをさせていただこう、そうして人をたすける心を持って思召に応えさせてもらおう。そういう心のところまで人を育てることが、私は本当のおたすけだと思うんです」(第35回新任教会長の集い)