私たち人間は、親神様から身体をお借りし、日々常に絶えざる親神様の十全の守護を頂いて生きています。ひのきしんとは、そのご恩に報いる感謝の心からの行為であり、日常生活の中で絶えず心掛けていくものです。
つまり、かしもの・かりものの理が真に心に治まったとき、その喜びと感謝が、おのずから行動となって表れ出るのがひのきしんです。まさに、ようぼくらしい生き方、お道ならではの暮らし方と言うことができるでしょう。
ぢばに伏せ込むひのきしん(おやさとの伏せ込みひのきしん)や、それぞれの教会での御用をはじめとして、広く職場や地域社会で人の役に立つ活動など、その表れ方はさまざまです。
いずれも、親神様への感謝の心を根底に置いた、親神様にお喜びいただきたいという行為です。人が見ていようといまいと、倦まずたゆまず積み重ねる真実の実践を、親神様がお受け取りくださるとともに、知らずしらずのうちに自分自身の心のほこりが払われ、勇みがわいてきて、運命が明るく開けていきます。
こうしたひのきしんの実践の場は、親里や教会での御用にとどまらず、公共施設の清掃や福祉施設での活動、献血、天理教災害救援ひのきしん隊の活動など、地域社会における信仰に基づく「たすけあい」活動としても幅広く展開されています。
【ひのきしん】
ひのきしんに漢字を当てると「日の寄進」となるところから、一般には「日々の寄進」と解されています。一説には「日を寄進する」、すなわち一日の働きをお供えすること、という解釈もあります。誰にも平等に与えられている“時間のお供え”とも言えるでしょう。