おやのことば 10月12日

毎朝、起き抜けにコップ一杯の水を飲む習慣がついて、もう20年以上になります。健康に良いと聞いて始めた(本当に体に良いかどうかは確かめていません)のですが、冷たい水を一気に飲み干すと、体中に水分が染みわたり、寝ぼけた頭がスッキリしてきます。

かつては、前夜に水を汲み置いて冷蔵庫で冷やしていましたが、あるときコップの中に小さな塵が入っていて、水を飲む気をなくしたことがありました。

それ以来、直前に汲んだ水道水をそのまま飲むようにしています。澄んだ水の中に落ちた塵は、たとえ小さな塵でも気になるものです。

「塵があって、一つの水の中に塵があっては飲まりゃせん」

教祖を通して伝えられた親神様の教えは、人の心づかいや生き方を本来あるべき方向へと導くためのものです。

しかし、現実の自分にとって、その理想に追いつくことはなかなか難しい。「陽気ぐらし」を究極の目的とし、教祖のひながたを、あるべき人間の姿のモデルとして説くたびに、教えを鏡として映し出される自分の姿を深く反省するのは、私だけでしょうか。

清らかな人間の生き方を説く教えを、教えを伝える人間が曇らせるようでは申し訳ありません。言葉と行いが一致するような生き方を目指して、たとえ少しずつでも努力していきたいものです。(岡)

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