
自宅の階段を上がったところに本棚があり、その一番下の段には家族の写真を収めたアルバムが並んでいます。
古いアルバムを取り出してページをめくると、その時々の記憶が鮮明に蘇ってきます。
でも、アルバムに残している写真のほとんどは、結婚式や運動会といったイベントや旅行の記録ばかりで、日常の出来事や普段の生活を思い起こすような写真は、あまりありません。
こうした非日常的なイベントではなくて、何げない日常の積み重ねが、実際には家族の歴史を紡いできたことを思うと、もう少し記録を残すべきだったと後悔しています。
「その場の結構は分かるけれども、後の結構は分からん」
人はしばしば、喉もと過ぎれば熱さを忘れてしまいます。節目の出来事は覚えていても、それらの記憶に残る出来事が、忘れられた日常の積み重ねのうえにあることは、なかなか意識できないものです。
しかし親神様のご守護は、晴れの日も雨の日も常に変わることはありません。写真が残されていないどの日にも、変わらぬご守護があったからこそ、いまの生活があることを忘れてはならないでしょう。
さあ、家族が目を覚ましたら、今日もいつもと同じように”普通の朝”を迎えることができたことを記念して、写真を撮りましょうか。(岡)