おやのことば 10月2日

幼いころから、理屈っぽい話が好きでした。近所の市立図書館で百科事典を熟読し、なんでも分かっているような気分になっていたものです。友達との口げんかには、ほとんど負けた記憶がありません。

ただ、ある程度の年齢になると「口先だけ」では通用しなくなってきます。理屈や理想を語るだけでなく、理想を実現するための努力が求められるようになってくる。特に思春期には、自分の理想と現実のギャップが大き過ぎて、何もやる気の起きない時期が続きました。この長いトンネルを抜け出せたのは、やはり信仰のおかげです。

「種という理を以て話し掛け。種は元である。口上手弁が達者やと言うても何にもならん」

信仰の喜びは、どんなささいなことでもいいから、何かを実行する中で感じられるものです。だから、やる気が出るのを待つのではなく、心を親神様の方へ向けたうえで、何かを始めることが大切なのです。

とはいえ、自分自身を変えるきっかけをつかむのは、なかなか難しい。私の場合は、その時々に与えられた立場や仕事を素直に引き受けることがきっかけになりました。

早朝の澄んだ空気の中で机に向かい、「おさしづ」の表紙を開くと、この時間が現在の自分を支えてくれていると感じます。こうして「おさしづ」を拝読する機会を与えていただいたことに、今日も感謝しています。(岡)

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