おやのことば 9月28日

かなり前のことですが、「なぜ信仰をしているのですか?」と聞かれて、答えに迷ったことがあります。

親の信仰を受け継いだ身としては、生まれ育った環境の影響を否定することはできません。でも、朝夕のおつとめや月次祭の参拝、原典の拝読やひのきしんといった信仰活動を中心に、毎日の生活を続けている理由は、子供のころの経験だけではないと感じたからです。

結婚して家庭をつくり、生活の糧を得て、日常の生活を繰り返す。そんな普通の毎日も、決して平坦なものではありません。

周囲の人の何げないひと言に傷つくこともあれば、思わぬ事情に直面して、右往左往することもあるでしょう。朝、布団から起き上がったとき、突然の腰痛に見舞われることもあります。

こんな日々を繰り返す中で、教祖の教えを信じて生きることが、いつも心の支えになってきました。

「一日の日も信心、十日の日でも信心、一年の日でも信心や」

「なぜ信仰をしているのか?」という問いは、過去を尋ねる問いであると同時に、現在に対する問いでもあります。

いまの自分にとって、この教えを信じて生きることに、どのような意味があるのか。一日一日を大切に生きる中で、自然にあふれてくる信仰の喜びがこの問いに答えてくれる、そんな人生を送りたいものです。(岡)

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