
先日、若い人たちと一緒に、神名流しや路傍講演をする機会がありました。お道の教えにふれて、まだ日の浅い人たちもいる中で、懸命に信仰の喜びを伝えようとする姿には胸を打たれます。夏空の下、精いっぱいに声を張り上げている彼らの姿を見ていて、若いころの出来事を思い出しました。
高校を卒業して間もないころ、青年会の行事と並行して、地元の町での神名流しと路傍講演を企画しました。のぼりを立てて見慣れた町並みを歩き、市街の中心部でハンドマイクを手に路傍講演をしていると、マイクを通して語る言葉の一つひとつが、自分に返ってくるのを感じました。
「一れつきょうだい」や「たすけ合い」といった教えは、言葉にするのは簡単ですが、実践するのは難しい。日常の自分の姿を知る人たちに教理を伝えることは、そのまま自分自身の生き方への問いかけにつながるのです。
「何ぼ若きと言うても、何ぼ年を取れたると言うても、人に伝え、内治め、人を治め、この理を一つ治め置かねばならん」
他者に信仰を伝える努力をすることは、教えの意味を再確認し、自らの信仰者としてのあり方を問い直すうえで、極めて大切なことです。20年以上の時間を経ても、全く成長していない自分を反省しながら、目の前の若者たちが、この日の経験を糧として、より豊かな人生を歩んでくれることを祈りました。(岡)
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