おやのことば 8月20日

「おさしづ」を拝読する機会を与えていただいて、特に感じることは、自分に悩みや心配事のあるときにこそ、「お言葉」のありがたさが身に染みるということです。家族や友人のこと、学校や職場のこと、地域の人々とのかかわりなど、毎日の生活の中では悩みや心配事の種は尽きません。解決策に行き詰まって、もう先が見えなくなるように感じたとき、親神様のお言葉がきょう一日を生きる力を与えてくれるのです。

「難儀さそう、不自由さそう神はあろうまい」

今回の引用は、そうしたお言葉を代表するものの一つではないでしょうか。現在の自分を取り巻く状況について、人間思案を通じて考えている限り、悩みや心配事が尽きることはありません。私たちには、他人の心を思い通りにすることはできないし、たとえきょうこれからのことであっても、正確に予測することはできないからです。しかし、親神様の目から見れば、すべての事には人間思案を超えた深遠な意味があります。

現在の自分を取り巻く状況の根底にある、親神様の深い親心を感じるとき、これまでと同じ自分と世界をこれまでとは違った見方から見詰め直すことが可能になる。「人間幾何名の子でも可愛い。神も同じ事」という親心からこの世界は成り立ち、私たち一人一人は、親神様の守護に満たされた世界の中で生かされているのです。

このような真実を基にして、今ここにある自分と世界の在り方を見詰め直すとき、いかなる状況においても、きょうを生き抜く力がわき上がってくることでしょう。(岡)

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