おやのことば 7月27日

「おさしづ」の中には、まるで鏡のように、私たちの日常を映し出してくれるお言葉が少なくありません。今回のお言葉は、その代表的なものの一つではないでしょうか。

自分自身を自らの目で見ることはできません。自分の姿を見るための目が、見られるべき体の一部になっているからです。

自分の姿を外から眺めるためには、自らのイメージを外に映し出す鏡が必要です。同じように、自己中心的な判断に陥りやすい心のあり方を見つめ直すためには、自らの姿を自分の思惑を超えて映し出してくれる鏡が必要でしょう。

鏡に映る自分の姿を通して、身だしなみを整えるように、お言葉を通して意識化される自分の姿を反省し、少しでも親神様の思召に近づけるように、自らを変えていく努力が大切です。

「一寸聞く。聞けば当分一時の処に治まる。なれど日が経ち、月が経てば忘れる」

私にとって、何度反省を繰り返しても、また同じ反省を促されるお言葉です。身上や事情といった節目に直面したときや、信仰生活の中で心を揺さぶられるような感動を味わうたびに、私たちは毎日のあり方を見つめ直し、本来あるべき人間の生き方に目を向けます。

でも、その感動や決意を、変わらずに持続していくことは難しい。難しいからこそ、何度も何度も繰り返して、「おやのことば」に耳を傾ける必要があるのです。(岡)

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