おやのことば 7月16日

先日、草刈りをしていて、久しぶりに芝生の上に寝転んでみました。青空が、果てしなく広がっています。深呼吸をすると、自分の心臓の鼓動が聞こえます。芝生に触れていると、体全体で自分の重みを感じます。

私たちの住まう世界は限りなく広く、自分という存在は、極めて尊く重いものなのです。しかし、毎日の生活の中で、世間的な価値や他人との比較を通して、自分を評価することに慣れてくると、本当は尊い自分の価値を見失ってしまう。狭い社会の人間関係や競争にとらわれてしまうと、広い世界の大きさを忘れてしまうこともあるでしょう。

戸籍に登録された名前と社会での役割だけが(もちろん、これは大切なものですが)、「私」という存在のすべてではありません。親神様の御守護に満たされた広大な世界に、親神様の御守護に満たされた体をお借りして、きょうを生きているのだということ。この真実を見失ってはならないでしょう。

「同んなし世界、幾名何人あると言えども、同し神の子供」

自分に自信を失い、社会関係に疲れを感じたときには、思い出してほしい。この世界は、人間が「陽気ぐらし」をするのを見て、共に楽しみたいとの親神様の思召によって創造されたということ。そして、一人一人の人生すべてに深遠な意味があり、どんなときにも親神様が「あなた」を見守ってくださっているということを。

きょうも神殿に参拝させていただき、青空よりも大きな存在とその親心にふれる機会を与えられていることに、心から感謝しています。(岡)

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