
古代の人々も「昔は良かった」という表現を使っていた話は有名ですが、「明日がある」とか「くよくよするな」といった表現も人類の歴史と同じくらい古いものではないか。時々、そんなことを考えます。
この世界に生起する出来事のすべてには理由があり、そこには親神様の思召が反映されています。この道の信仰を心におさめたならば、もはや「心に掛かる」ことなど無くなるでしょう。
しかし、教理を知識としては理解していても、本当に教えを生きる糧とし、自らの生き方の方向性を変えていくことは、決して容易なことではありません。朝夕のおつとめの際に、毎日「さんげ」を繰り返しているのは、筆者だけではないでしょう。一体、いつになったら教祖に教えられた通りに、自分と世界を見詰めることができるようになるのか……。反省しない日はありませんが、「おさしづ」を拝読していると、先人の方々もさまざまなお諭しを受けています。
「寝て目が醒めれば心に掛かる。心に掛かるのが神の邪魔になる」
この道の黎明期に力を尽くした先人の方々でさえ、このようなお言葉を絶えず戴いています。教祖を通して伝えられた真の人間としての生き方は、すぐに手が届くようでありながら、実際にははるか遠い所にある。決してあきらめることなく、求め続けていくことが大切でしょう。
「すっきり心に掛からんようにしたら安心であろう」
きょうは少しでも、このような境地に近づくことができるでしょうか。(岡)