おやのことば 5月7日

昨夜のことですが、ひどく恐ろしい夢を見て、夜中に飛び起きました。洗面所へ行って顔を洗い、鏡を見詰めていると鼻に痛みを感じます。数日前から風邪気味でしたので、息苦しくなって、悪い夢を見たのでしょうか……。夢だと言って笑い飛ばせば良いのですが、時にはしばらく忘れられないような場合もあります。

「おさしづ」では、さまざまな事情について神意が伺われていますが、「夢」についての伺いも少なくありません。今回のお言葉は、ある人が夢の中で追いかけられて背中から切りつけられる、そんな夢を見た後に伺った内容に対してのものです。 「案じる事は要らんが、一寸の理を諭し置く」

どのように悟るべきか思案する人に、こうして優しく諭されています。このようなことにまで、思案すべき方向性を示されていることに深い感銘を受けるとともに、どのようなことにも神意を伺う、先人の方々の厚い信仰心にも感心させられます。

この世界に生起する出来事は、すべて親神様の守護の現れであり、そこには何らかの思召が反映されています。しかし、いつもわが身思案や生じてきた結果にとらわれて、なかなか親神様の親心に思いをはせることができない。そういう自分の姿を省みるとき、ささいなことにも神意を悟ろうとする、先人の方々の姿勢から学ぶことの必要性を強く感じます。

どのようなときにもこの世界は、親神様の働きに満たされているのですから。(岡)