おやのことば 4月23日

教祖120年祭の年を迎え、特に週末の「おぢば」は、たくさんの帰参者でにぎわっています。色とりどりの旗を掲げた人々が、先頭に立って参拝者を導いていく。神殿で参拝していると、しばしば教理や信仰の素晴らしさを一生懸命に説いている姿に接することができます。

初めて「おぢば」へ帰った方々に、教えの内容を伝えることは難しい。「ぢば」とは何かという教理の説明の前に、「ぢば」という言葉の意味を説明しなくてはなりません。相手の反応を見て、言葉を選びながら懸命に説明を続けています。神苑に目を向ければ、車いすを押して神殿に向かう人、子供やお年寄りの手を引いて歩く人、中にはバスの車内で待つ人のために、たくさんのお弁当を運んでいる人もいるようです。このような光景を思い浮かべながら「おさしづ」を拝読していると、今回のお言葉が目に留まりました。

「皆、をやの代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足して帰るのやで」

「元のぢば」に帰ってきた人々には、少しでも満足してもらいたい。教えの素晴らしさや信仰の喜びを感じてほしい。多くの人々のこんな素直でシンプルな願いが、温かな親里の雰囲気を醸し出している。桜の花が満開になっているためでしょうか、休日に神苑を訪れると、こんな気持ちがしてきます。

人々を「おぢば」へ導き、世話取りをされている方々の努力を思えば、道を尋ねられたときや声を掛けられたときには、できるだけ親切に対応したいものですね。(岡)

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