
「おさしづ」のお言葉の中には、もう説明もいらない、そのままで心に響くお言葉があります。 「尽した理は、尽し損にならんで」
このお言葉が心に響くのは、人間思案を離れて親神様の思召を素直に受け取ることが、極めて難しいからでしょう。
例えば、子供たちがまき運びの手伝いをしたとします(今どき、こんな仕事は少ないかもしれませんが、子供のころを思い出して……)。1束につき、10円のお駄賃をもらえると聞いて、競争してまきを運ぶ。友達が5束運ぶ間に10束運べば、倍のご褒美をもらえるはずです。しかし、全部のまきを運び終わった後で、「みんな良くやった」と全員に100円ずつのお駄賃が与えられました。
競争してまきを運んだことが、本当に楽しかった子供は、もうお駄賃のことなど気にしないのかもしれません。もっと賢くて、お駄賃よりも素晴らしい、健康な身体というご褒美に気付いた子供は、喜びの心でいっぱいになる。でも、お駄賃だけを目的にしていた子供は、どうでしょうか。
1束10円なら、10束で100円。15束なら150円になる。これは、人間の秩序の世界です。もちろん、この秩序を維持することは、極めて重要です。しかし、人生には、計算通りにいかないことのほうが多い。損得勘定が付かないときに、どのように現状を受け止めるのか。この割り切れない問いに答え、生きる力を与えてくれる信仰を教祖は伝えてくださったのです。(岡)