
もう何十年も前の学生時代の話です。初めてにをいがけをしたときに、付き添ってくれた先輩に尋ねました。
「もし、話を聞いてくださる方がいたら、何を話したらいいのでしょうか」
「自分がたすかった話をすればいいと思うよ」
「なるほど……」
答えを聞いたときは納得しましたが、実際に自分の半生を振り返ってみても、何も頭に浮かんできません。入院するような病気の経験は、小学生のころの盲腸の手術だけです。決して真面目な生徒ではありませんでしたが、学校生活もそれなりに楽しんでいました。 「この道というは、たゞ言葉一つの理で分かる。心の理で救かる」
それでも、真剣に考えながら歩き続けていると、幼いころ、友人関係に悩んでいたときに祖母の言葉で励まされた経験や、落ち込んでいたときに父から聞いた教理で救われたことなどを思い出しました。無理に探し出そうとしなくても、素直に振り返ってみれば、これまでの人生はずっと、教祖の教えによって支えられてきたのです。そう考えると胸が熱くなり、気がつけば、しばらく路上に立ち尽くしていました。
あれから30年以上の年月が過ぎました。この30年間を振り返ってみても、やはり自分の人生は、教祖を通して伝えられた親神様の教えに支えられてきたと感じます。この気持ちを忘れなければ、きっと明日の自分にも、喜びを感じることができるでしょう。(岡)