おやのことば 2月12日

教祖120年祭が盛大に勤められました。新たに整備された神苑は、参拝の人々に埋め尽くされ、いつもより以上に張りのある声で、おつとめの地歌に唱和していました。

世界で唯一「かぐらづとめ」が勤められる場所。あらゆる生命のふるさとである「ぢば」に帰った証拠として渡されるのが、「証拠守り」です。

教祖のお召しおろしの赤衣の一部をお守りとして渡されるのですが、教祖がご在世中にお召しになった赤衣は、数が限られています。原文の「おさしづ」は、残された赤衣が無くなった後に、どのようにしてお守りを授けるべきかを伺ったものです。「割書」には、次のように記されています。

「御守はこれまで教祖の御衣物を御守に用い来たりしに、皆出して了いになり、この後は如何に致して宜しきや伺」

この伺いに対して、「夏なれば単衣、寒くなれば袷」と、季節に応じて赤衣を仕立て、毎日お召し更えを願うようにとのお言葉を頂きました。教祖は世界中の人々のために、昼夜を分かつことなく、お働きくだされています。しかし、この深い教祖の親心に対して、われわれはどれくらい心を尽くしているでしょうか。季節の変化に応じて衣服を変えることは、毎日の生活では当たり前のことですが、いつもこのような気持ちで、ご存命の教祖に心を寄せているでしょうか。

「姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿が無いばかりやで」とのお言葉が、胸に迫ります。(岡)

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