立教

rikkyo

われは元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降あまくだった。みきを神のやしろにもらい受けたい」
これは親神おやがみ天理王命てんりおうのみことが、私たち人間に対して発せられた最初のお言葉で、「立教のご宣言」といわれているものです。
この短い一節に、親神様の神格、元のいんねん、立教の大目的、教祖おやさまのお立場が凝縮して述べられています。
このお告げ(啓示)より、数えて3日後の天保てんぽう9年(1838年)10月26日、天理教は開かれました。
これは、親神様が陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと、人間世界をおはじめになった元初もとはじまりの約束に基づきます。すなわち、元初まりにおける母親のたましいのいんねんある教祖をやしろとして、人間宿し込みの地点である元のぢばにおいて、最初に産みおろされた子数の年限がったあかつきに、このだめの教えが開かれたのです。
この人と所と時に関するいんねんを、「教祖魂のいんねん」「やしきのいんねん」「旬刻限しゅんこくげんの理」と言い、立教の三大いんねんと呼びならわしています。

【だめの教え】 だめとは、だめ押しの略で、元来は囲碁いごの用語。勝負を確定する局面を指すところから、総仕上げ、最終的、究極的の意味で用いられています。『天理教教典』には「とおのものならここのつまで教え、なお、明かされなかった最後だめの一点、元の親を知らして」とあるように、本教は、人間創造の元の神が付けられた陽気ぐらしへのたすけ一条の道であることが記されています。 したがって他宗の教えも、親神様がその時・所に応じて現された修理肥しゅうりこえの教えであり、敬意を払うよう教えられています。
「元聞き分けてもらいたい。何処どこ其処そこだれそれという者でない。ほんなんでもない百姓家ひゃくしょうやの者,なんにも知らん女一人いちにんなんでもない者や。それだめのおしえを説くというところの理を聞き分け」(おさしづ 明治21年1月8日)
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