(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1251回

部屋の掃除について

公共の場と違い、自分の部屋はきれいに使おうという意識になりにくい。それをいかに子どもたちに伝えるか。

にくい・かわいのほこり

 

人は生まれてから死ぬまで、ややこしい対人関係の網の目の中で生きるよう宿命づけられているようです。対人関係には利害がつきまとうものですが、もっとも広く私たちの心に横たわっているのは、好き嫌いの感情です。これが深刻な状態になり、憎悪や怒りが生じてくると、世界いちれつきょうだいであるどころか、「万人は万人にとっての敵」となり、それが自らや人々の心を果てしなく傷つけていきます。

神様は、陽気ぐらしに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくだされていますが、今回は特に対人関係において生じてくる「にくい」と「かわい」のほこりについて考えてみたいと思います。

「にくい」のほこりの場合、ある特定の人に対して憎いという感情しか持てないとすれば、それは自由であるはずの心の動きを極度に狭めていることになります。言い換えれば、憎いと思うその人に心を囚われ、支配されている状態です。これは自他ともに、実に不快で不自由な世界に住んでいる状態だと言わねばなりません。

また、「かわい」のほこりとは、自分や身内の者だけを偏愛する傾向のことを指します。我が子を可愛がるのは親として当然のことですが、我が子だけを偏愛し、人の子のことなどどうでも良いとなれば、これはいちれつきょうだいの教えに反する心遣いです。

困ったことに、これらの感情は、主として密接な関係において生じてきます。私たちは見も知らぬ人を憎むことはありませんし、よその会社の人の出世に腹を立てることもないのです。ところが、ちょっとした悪口でも、夫婦の間では我慢ができず、同じ職場にいる人間に陰口を叩かれたとなれば、すぐにほこりを積んでしまうでしょう。

かくして、本来互いにたすけ合って陽気ぐらしをするように組み合わされた密接な人間関係が、バラバラに壊されていき、相互に人間不信の念が深まっていきます。ここで考えるべきは、武器や道具で暴力に訴えるのが悪であることは誰でも承知していますが、言葉によって、あるいは心遣いによっても、人を憎み、深く傷つけてしまうことがあるということです。

それらは、法律的、社会的に罰せられることはないかもしれません。しかし、お言葉に、

  みなせかいのむねのうち
  かゞみのごとくにうつるなり
  (「みかぐらうた」 六下り目 三ッ)

とあるように、私たち一人ひとりの心の動きは、神様の目にすべて鏡のように映り、その心通りにご守護くださることを忘れてはなりません。

すなわち、ほこりを払うということは、神様の教えに照らし合わせて、日々の言動を心掛けることであり、それは社会的な評価の善悪とはまったく別のものなのです。

 


 

部屋の掃除について

 和歌山県在住  岡 定紀

 

前回、公園でのゴミ拾いについて、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手のエピソードを挙げながら、ゴミを拾って、運を拾うということについてお話ししました。

私は公園でのゴミ拾いは、子ども自身に運を呼び、良い人生が開けていく元になると信じていますが、今回はもう一つ、幸運をもたらすための類似のキーワードである「自分の部屋の掃除」について考えてみたいと思います。

というのも、公園や学校の教室など、みんなが使う場所をみんなで掃除するというのは子どもにも理解しやすく、大人としても教えやすいのですが、自分の家となると話しは変わってくるからです。

どうしても、自分の家なのだから好き勝手にしていいという考えになりがちで、実際、私の子どもたちの部屋も片付いていないことの方が多いのです。ひどい時は注意をしますが、言われて仕方なしにやるのではなく、自ら進んで片付ける習慣をどうやって身につけさせるか、伝え方などをあれこれ考えています。

例えば、友達が遊びに来る時などは、片付けておこうという気になりやすいので、こちらから言わなくても最低限のことはやっています。しかし、その後が問題で、遊んで部屋を散らかしたまま外へ出て行ってしまうことが多いのです。

帰ってきてから片付けるつもりなのかもしれませんが、とにかく早く遊びたいという気持ちが優先します。子どもの頃を振り返り、自分もそうだったなあと反省しながらも、やはり我が子には言われてする状態から早く成長して欲しいと願っています。

ところで、我が家には客間があります。言うまでもなく、客間はお客さんをもてなすための部屋です。居間は、家族団らんを楽しみ、くつろぐための部屋です。お客さんは頻繁に来なくても、客間は自分の部屋ではないので綺麗にしておくのと同じように、自分の部屋も自分だけのものではなく、人が出入りする空間であり、一時的に借りているものだという意識にどれほどなれるかが大切だと思うのです。

これは部屋だけの話ではなく、何事につけても大切なことだと思います。大谷選手の運を良くするキーワードの中には、ゴミ拾い、部屋掃除以外にも、道具を大切に使う、というのがありました。

道具も自分のものは雑に扱いがちになりますが、人から借りている道具であれば壊さないように丁寧に扱いますよね。

この他に、我が家は教会なので神殿があります。神殿は、神様がおられる空間です。毎日、早朝と午後二時の二回、掃除をしますが、これは神様を大事にするからに他なりません。教会だからこのような空間があり、朝起きてすぐ掃除をするという習慣があるのは当然とも言えますが、一般家庭においても、程度の差はあれ、似たような風習というか、名残りはあると思うのです。

私が子どもの頃は近所でも一軒家が多く、正月には玄関に門松を置いている家が結構ありました。このような日本の習慣も元はと言えば、神様を家に招くという風習があったからです。

今でも各家庭で年末に行う大掃除は、元々は正月に幸せをもたらす年神様を迎えるため、家の中を綺麗にしておくというのが由来です。こういう考え方からすると、まさに部屋を掃除すると幸せが訪れるというのも、納得しやすいことだと思います。

天理教では、心だけが自分のものと教えられています。特に銘々の身体を神様からお借りしているという意識を持ち、それにどれほど感謝できるかが大切であると聞かせて頂きます。

そして、この身体には神様が入り込んで働いてくださっているのだから、神様の居心地のいいように掃除をしなければならない。

その掃除とは、心の掃除です。この世界と人間をお創めくだされた親神様の望まれる、互いに立て合いたすけ合う陽気ぐらし世界。それを目指す上での妨げとなるのが、我さえ良くば、今さえ良くばのほこりの心遣いです。

その心のほこりを、神様の教えを箒として掃除をするというのが、この信仰生活の一番の角目です。それを今の子どもたちにどうやって伝えるか。なかなか難しいけれど、やりがいがあります。

(終)

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