はじめにお読みください

人は誰しも喜びを求め、幸福な人生を望んでいます。では、その喜びとは何か、そして幸福な人生とはどういうことかと、あらためて自らに問いかけてみると、漠然としたイメージで幸福を捉えている人も少なくないでしょう。誰もが思い浮かべる幸福の条件として、健康で豊かで生きがいをもって日々を生きること、家族をはじめとする周囲の人たちと仲良く暮らすこと、などを挙げることができると思います。

このように、精神的にも肉体的にも、そして社会的にも満ち足りた人生を求めることは、人として当たり前の心情ですが、意に反して望みが叶わず、悩み苦しみ、悲嘆に暮れている人も大勢おられます。そんな人間の幸福を妨げるものの代表は、病気(身上)であり、生活上のさまざまな悩み(事情)でありましょう。

考えてみると、私たちようぼく(あるいは私たちの親々)は、身上・事情の節を頂いて、この教えの道に引き寄せられました。これを、お道では「てびき」といいます。手を引いて教え導くという意味です。

てびきをされたのは、ほかならぬ親神様・教祖です。人生を歩んでいくうえで、何も知らずに右往左往している私たちに対し、親が子供の手を引くように、確かな拠り所となる生き方を教えて、「陽気ぐらし」という真に幸福な道へとお導きくだされているのです。

親神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと思召おぼしめされて、人間世界をおはじめになりました。一人ひとりが心を澄まし、互いにたすけ合う生き方こそが、世界中の人間が真に幸福になれる陽気ぐらしへの道であり、その理想世界の実現を目指す人材、用材として、この道に引き寄せられたのが、私たちようぼくなのです。つまり、人々を陽気ぐらしへといざなわれる親神様・教祖のお手伝いをさせてもらうのが、ようぼくの役割といってもいいでしょう。

その尊い御用の一端を、親神様・教祖は、私たち一人ひとりに委ねておられます。言い換えれば、私たちようぼくには、をや(親神様・教祖)から託されている大切な使命があるのです。その御用の一つは、「おたすけ」です。

いままさに、難儀不自由をかこつ人々が、私たちの身の周りにおられます。

おたすけの第一歩は、身上・事情に悩み苦しむ人の、声なき声に耳を傾け、傷ついた心に寄り添い、立ち直りの手助けをさせていただくことです。かつて、私たち(私たちの親々)が、この信仰に入るきっかけをつくってもらい、身も心もたすけていただいたように……。

こうして、「教祖の道具衆」と呼ばれるようぼくが、その使命に目覚め、その務めを果たそうと懸命に努力するとき、いつしか私たちは、「人たすけたらわがみたすかる」とお示しくださるように、真に幸福な人生への道に導かれているのです。

ここでは、ようぼくの務めを果たしていく信仰実践の手がかりを、五つの項目に分けて説明しています。今日まで心にかけていながら実行できていないことがあれば、まずは最初の第一歩を、勇気をもって踏み出してください。きっと新たな人生が開けるはずです。

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