おやのことば 11月2日

小学生の娘には宝物がたくさんあるようです。

机やベッドの周りには、大人から見るととても大事なものとは思えないような品々が、きれいに飾りつけてあります。もうボロボロになったスリッパなどは、そろそろ取り替えてほしいのですが、手放す気持ちは当分なさそうです。

妻や息子にも尋ねてみると、それぞれ大事にしているものがあるようです。

私の大切なものは、机の上に置いてあるカバの玩具でしょうか。カバの口を開くと、5年ほど前に録音した子供の声をいつでも聞くことができます。どうやら、その人が大切にしようと思ったときに、宝物は宝物になるようです。

「心の宝を求めて居て、世上の理を通る。これは不憫じゃな」

原文は、別席とおさづけの理に関する重要な「おさしづ」です。せっかく尊いおさづけの理を拝戴しても、戴いた人がおさづけの取り次ぎを怠り、ようぼくとしての自覚が薄れていけば、やがて意味を失ってしまいます。

宝物は、それを大切に思う気持ちと、大切にする生活があって初めて宝物になるのです。親神様の親心がこもった大切な宝物を錆つかせているようでは、本当に申し訳ないことですね。

「おさしづ」を拝読するたびに反省を繰り返す毎日ですが、今回のお言葉は、いつも以上に身に染みました。(岡)

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