おやのことば 10月29日

子供の口げんかを聞いていると、しばしば「おまえが悪い」とか「あいつが悪い」といった言葉を耳にします。「悪い」というと、まるで善悪の判断のようですが、実際には順番を守らなかったとか、先にちょっかいを出したとか、争いの原因になったことについて言い合っていることが多い。その原因についても、どちらの意見が正しいかという判断になると、どちらともいえないことが少なくありません。

「誰も使っていないボールが置いてあったから、拾い上げて使った」と一方の子供が言えば、もう一方の子供は「これから使うために、ボールを置いてあった」と言い返すこともあるでしょう。一方の側にとって正しいことが、他方にとっては過ちとなる。このようなすれ違いは、子供の世界に限らず、社会生活を営む私たちにとって避けることができないことの一つではないでしょうか。

「皆悪い者は一人も無し。分からんのはめん\の胸が分からんから、分からん者が出て来るのや」

自分に都合の良いものは「良い」けれども、自分に都合の悪いものは「悪い」。私たちは、ついこのような判断をしてしまう。しかし、「自分の都合」というフィルターを通すのではなく、親神様の教えを定規として物事を考えることが求められているのです。こうした意識の転換の大切さと難しさを教えてくれる、そんなお言葉ではないでしょうか。

少なくともこれからは、年長の子供に「年上なのだから我慢しなさい」と言い含める――これが一番自分には都合が良いのですが――だけではなく、お互いの言い分をじっくりと聞いてあげたいと思っています。(岡)

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