おやのことば 10月9日

先日、濁った川の水を濾過して飲料水を作る方法がテレビで紹介されていました。

まず、厚手のしっかりした布でゆっくりと水を濾し、不純物を取り除いてから、やかんで沸騰させます。濾過の作業にかなり時間がかかったので、そのまま飲料水にするだろうと思っていました。

ところが、作業はむしろ、ここからが始まりだったのです。

コップをやかんの口に逆さに被せて、沸騰した水の蒸気を受けとめ、冷えて滴り落ちた水滴を集める。1時間ほど続けた結果は、小さなコップの3分の1程度の量でした。

「扶け合い\が台である。又扶け合いして居るであろう。よう聞き分けにゃならんで」

普段の生活では、水道の蛇口をひねって、すぐに水を飲めるのが当たり前だと思っています。また街の食料品店には、ペットボトルに詰めた飲料水が山のように積まれています。

でも、ペットボトル1本の蒸留水を自分で作るのは決して簡単な作業ではありません。どこかで誰かが、きっと時間をかけて、この水を作っているのでしょう。

こんなふうに考えると、スーパーの店頭に山積みされた野菜や果物の一つひとつにも重みを感じます。自分一人だけで暮らしていると思っていても、本当は多くの人たちに支えられ、互いにたすけ合って人は生きている。このことを忘れないようにしたいものです。(岡)

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