おやのことば 10月7日

どちらかというと円満な夫婦だと自負していますが、一度だけ妻をひどく怒らせたことがあります。そのときは、言い合いになるのが嫌で、しばらく黙り込んでしまったのです。相手を批判するような言葉であっても、言葉のやりとりがあるうちはコミュニケーションが成立しますが、言葉がなくなってしまえば、お互いの意思を確認することはできません。いつも穏やかな妻を怒らせてしまったことに、深く後悔したのを覚えています。

それからは、たとえ言い難いことであっても、できるだけ気持ちを言葉にするようにしてきました(これも問題かもしれませんが……)。

言葉は暮らしに欠かすことのできない大切な道具ですが、上手に使いこなすのは難しい。夫婦の間でさえ、すれ違いがあるのですから、親神様の思召を言葉で他者に伝えることは、決して容易なことではないでしょう。

「人を救けるには誠の心。一つの言葉優しいというは、誠の心である」

一人のようぼくとして、身近な人々に親神様の思召を伝え、信仰の喜びを広げていく役割を自覚すればするほど、言葉の大切さと難しさを痛感します。言葉が伝わり難いと感じるときは、自らの心の使い方が、教祖を通して伝えられた親神様の教えに即したものであるかどうか、振り返ってみることが必要でしょう。

「誠の心」と「優しい」言葉が一つになって初めて、親神様の温かい親心が「胸から胸へ」と伝わるのです。(岡)

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