おやのことば 10月1日

小学生のころのことですが、夏休みに一人で母方の叔父や叔母の家を渡り歩いて旅行をしたことがあります。楽しい毎日を過ごしたのですが、帰りの列車が混雑していて、空いた席がありません。そこで見送りに来てくれた叔父が、すでに座っている人に無理にお願いをして、座席を確保してくれました。

自分勝手なお願いなので、子供心に恥ずかしい気持ちはあったのですが、一方で叔父のストレートな好意に感激したことも覚えています。私たちは、しばしば身内や家族のことになると、なりふり構わずに行動することがあります。特に子供のことになると、時には行き過ぎた行動を取ることもあるでしょう。しかし、同じように困っている子供がいたとして、どの子にも等しく親身になることができるでしょうか。

「十人の中親と言えば親、兄弟と言えば兄弟、従兄弟と言えばこれから先淡くなる」

親神様の目から見れば、この世界に存在するすべての人間は、同じ親を持つ「きょうだい」です。しかし、私たちの人間心は、ついつい人を分け隔てしてしまう。教祖の「ひながた」と一般の人間の在り方との最も大きな違いは、ここにあるのではないでしょうか。教祖は、わが身のことをすべて捨て去って、深い親心を分け隔てなく、あらゆる人々に注がれました。

「他人が他人やない」

このような精神を持って、きょう一日を生きる。ほかのお言葉と同じように、口にするのは簡単ですが、実践するのは極めて難しい。それでも、親神様は人間の成人を待ちわびておられるのです。(岡)

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