
このコラムは薄暗いうちに起きて早朝に書くようにしています。
窓を開けて朝のひんやりした空気に浸っていると、日中は生活音に消されて聞こえにくい鳥のさえずりや虫の鳴き声が聞こえてきます。深呼吸をすると空気がおいしい時間帯です。
今日も世界は親神様のご守護に満たされていると感じます。そして、この世界の素晴らしさを感じることができるのは、「かしもの」の体をお借りしているからです。
でも、教祖を通して世界の真実が明かされ、いま、ここに生きていることの本当の意味が伝えられていなければ、このような気持ちで朝の時間を過ごすことはできていなかったに違いありません。
「真実の話、ようしっかり伝えるがよい。それ/\皆々待って居る。よう伝えるがよい」
朝の空気を深く吸い込んで、親神様のご守護に感謝できることは、手足を自由に動かせることが当たり前ではないのと同じように、決して当たり前のことではありません。
教祖を通して伝えられた真実の教えを、先人の方々が信仰実践を通して心から心へ伝えられたからこそ、今日も生かされている喜びを感じることができるのです。親神様の存在に気づかなければ、ご守護に感謝することもできないでしょう。
この喜びを世界の人々へ、そして次の世代の人々へ、しっかりと伝えていきたいものです。(岡)