
天理教を信仰していて良かったと思うことの一つは、さまざまな機会に、いろいろな人と出会えることです。少年会、学生会、青年会などの活動や多彩な研修会などを通じて、初めて出会った人たちと共通の時間を過ごし、時にはそれぞれの人生を共に振り返る。
信仰という共通の基盤に立って互いの人生を振り返るとき、深い共感の輪が生まれるように思います。
それに、世間は広いようで狭い。必ず共通の知人や趣味、出身地などの話題があって、昨日まで名前も知らなかった人たちが、意外と身近な人たちであることを知って驚くことがあります。
そんなとき、人と人との出会いは決して偶然ではないな、と感じるのは私だけでしょうか。
「めんめん一つ治めにゃならん。世界中の人間皆同じ兄弟、皆世界鏡と」
でも、親神様の目から見れば、世界中の人間は、もともと「皆同じ兄弟」です。大都会の雑踏ですれ違う見知らぬ人たちも、地球の反対側で生活している人たちも、本当は「皆同じ兄弟」なのです。そうだとすれば、どの人にも何か不思議なつながりを感じるのは、むしろ当然のことかもしれません。だって、どの人も元は兄弟なのですから。
ただ、いつでもこうした意識を持ち続けることは、決して簡単ではありません。だからこそ、世界中に”きょうだいの輪”を広げていく必要があるのです。(岡)